固定概念を捨てる
痛いところがあるとき
人間、長い年月を過ごしてくると、生活習慣はもちろんだが
ちょっとしたきっかけで痛いところが出てくる。
踊りや競技をしている人は猶更、どこかしら
いつも痛い訳ではなくても、何かの拍子に
「あっ!ここが動かしにくくなっている」
「ここが邪魔している」
と感じるところが出てくる。
私自身にもそういうところがある。
痛い、動かしにくいと直接感じられるところよりも
もう少し遠いところに原因がある場合が多い。
どうしても痛いところに神経が集中するが、いつもとは違う方向から動かしてみたり
大事な時には逆側を使って対処してみたり。
何年も前に50肩らしい状態になった。
重い荷物を持つ、腕で体を支えるなどには支障が出たが
肩甲骨をしっかり使うことを繰り返しやってみて
誰にも気づかれることがなかった。
そのうち肩甲骨、背骨、股関節とつながりが感じられるうちに
可動域は全く変わってきた。
使い方によっては痛みがある場合もあるし
楽に使えても、戻す時に痛みがある時もある。
でも痛いところがあると、体の繋がりを通して
強い緊張がある部分をどんな使い方でやってみればきつくないのか
左右差をどこで感じているか、左右の違うところはどこか
考えていくことができる。
長く親しんだ使い方と体の状態を少しずつ変えていくことを
飽きることなく繰り返せるのは
痛いところややりにくいところがあるからだ。
痛い、うまくいかないを
嘆いていても楽にはならない。
そこだけに意識を集中させてしまうと
痛いからできない、痛くてやりたくない、どうせうまくいかないと後ろ向きなことしか考えなくなる。
やっているうちに痛いことも忘れてしまう程度の痛みを与えられたことに感謝して
痛いところとつきあっていく。
うまくいかないから智恵が出る。
全てうまくいくように与えられた人生はない。
与えられすぎて創意工夫を考えない人生よりも
自分の意志で方向性を変えることも可能な
ほどよい与えられ方をされたことに感謝して
一見嫌なことも、自分の新たな力に変換できることを
先人はしっかりされている。
恵まれたように見える人でも
底知れない痛みも悩みもある。
それがあったから、人は考えていく。
痛みや悩みとつきあい、いつかは自分の力にしていこう。