激励と叱咤の間
感覚は進化していく
今年もあと数日を残すばかりになったが
昨日は六甲アイランド教室の今年最後のレッスン。
この教室は、私がボディコントロールを始めるきっかけになった教室で
開設当初から続けて下さっている方々もおられる。
2時間のレッスンがとてもできずに1時間で帰っていた人、
腰痛で膝が痛くて・・という方も今ではとても美しい体になっておられる。
その中のお1人がよく言っておられたのは
「先生はそう言われるけど、そうしてみても、私にはできないんですよ」
意識を全くせず、体をなるがままに使っている時は
自分の体はこんなもの、
出来る人は恵まれた体、自分には無理なんだと諦めている。
意識するようになると、それまで思うようにならなかった体に変化が顕著に見える。
自分の体をコントロールしていくスタートに着く。
それまで何もしていないのだから、少しの意識でも全く違ってくる。
希望が湧き、体に向き合おうとする気持ちが出てくる。
そしてまた次の段階として
意識しているが、人には良くなったと言われても
自分自身では「ここがうまくいかない」「これだけでは違う」
と言うところが出てくる。
自分自身で「違う」と気付けるのは進化でも変化でもあり
体の感覚が育っていると言うことだが
ここから更なる試行錯誤が始まる。
大雑把な使い方から、微細な感覚が出てきているからこそ
「これは違う」「これでは足りない」と感じるのである。
上手く出来ている人の
例えば立位体前屈した時の坐骨の位置が自分とは違い
高い位置にある。
自分のは途中からお腹が縮んでいる。
そこで観察したり、触らせてもらったり、誘導されたり
やってみる距離を短く変えたりして
肋骨が押さえられて、お腹が縮んでいるのか!と気づいたりする。
肋骨が埋まってしまわない状態にして背骨を伸ばすと
お腹の伸び方が全く変わってきて
固まらないでのびているお腹はこんなに楽だと気付く。
(体が自然に可動域を広げられる位置にできると、きつさがない)
意識が出来るようになった。
体が変化してきた。
でも違和感があったり、思うようにいかないところがある。
それは自分が望む体の成長途上にあるからこそ、通る道。
自分が体に向き合わなければ感じなかったことだ。
感覚が育ってきたから突き当り、そこにきたからこそ
うまくいかない原因を探っていく。
その試行錯誤がまた新たな感覚、微細な使い方を産んでくれる。
言われたことがそのまますぐにできたら誰も苦労はしない。
体に向き合っていくのは山に登るようなもの。
そこにあるから登り、緩急合わせた険しい道を行くが
楽には行かない。
楽には行かないから、得た時の喜びもまた例えようもなく大きい。
体は段階を経ながら、少しずつ変化も進化もしていく。
小さくても確実に変わっていくのだ。
神戸でWSを始めた頃から来られている人。
体幹の感覚が掴めるようになってきれいな立ち姿。
六甲アイランド設立初期のころから来られている人。
その頃から体は全く変化された。
足を伸ばしたままのピルエットの途中。
無理なくできている。