激励と叱咤の間
自分を律する柔軟さ
私がいつもお世話になっている整骨院の先生方が
淀川マラソンに出られた。
お1人は一昨年、初マラソンで3時間30分の好成績で
それから神戸マラソンや大阪マラソンに出て
今回はちゃんとお聞きしていないが、6000人中0200位以内には入られているらしい。
前々回は15分記録を縮めたそうだが、今回もきっと
いい成績だったに違いない。
数か月前、私が夜にタラタラ走ってるときに出会ったが
爽やかに声をかけられて、あっという間に姿が見えなくなった。
速い~・・・
2週目に追い越されるのではないかと焦りましたが。
初マラソンの次の日に、汗びっしょりで走られていたのを見たことがあるので
ストイックな方だなと感心したことがある。
これも素晴らしい。
今日のお話はこの先生ではなく、もうお1人の先生。
マラソンを始められて、1年で今回初マラソンに出られた。
数週間前に事故で肋骨にひびが入っているので
どうされるかと思っていたが走られた。
とにかく無理をしない、と決めて出られたのだが
結果は5時間に近い4時間台で完走された。
どんなに人が速く走ろうと、自分のペースを守って
ゆっくり走っていくと、先に追い越していった人たちは
ペースが乱れて歩いている。
ずっと自分なりのペースで、我慢して走られたらしい。
ゆっくりでも4時間台は素晴らしい。
この、自分のペースを守る、と言うのは言葉でいうほど簡単なことではない。
自分自身を律する強い精神力がいる。
昨日、私が書いたその時々の心と体に付き合っていく
と言うことを、そのままされているのだ。
聞いていて感動した。
その時々の自分自身の心と体に向き合って、できることをする。
この前提があってこそ、更に人と競う心身共に強い力も出来る。
人と競うためか、自分自身をコントロールして最大限に自分を高めるのか
人に寄り、それぞれの考え方も感じ方もあるだろうが
その時にふさわしいやり方を自分自身で選択し、
我を忘れるほど必死にならず、自分自身をみつめられる状態で
できることに挑戦していくのが、今の私の思いに合う。
我を忘れない、ということは自分の状態を把握できており
心と体がしっかりつながっている状態であると言うことだ。
今現在の自分自身の姿が脳裏に映し出されるシステムが
切れてしまわないで最後まである。
燃え盛る炎のような熱さがこころと体を包んでいるが
芯の部分に決して沸騰することのない、
澄み切って冷たい水が存在するような状態。
それが自分自身をコントロールしているということだ。
踊りでなくても、競技でなくても、動くことでなくても。