激励と叱咤の間
体に刷り込まれる『できる』という概念
体は心の状態に、心は体の状態に大きく左右されるものだと思うのは
生徒さん達を見ている時。
先月、東京でのWSに参加して下さった方からメールを頂いた。
一部を抜粋させて頂くと
『不思議だなと思うのは
前に脚をあげるのも、前後開脚も、今までこんなにできなかったのに、
一度、できてしまうと
頭の中では「できるはずない!」と思っていた、
「できない」という概念が消されてしまうという事です。
さらに、よく見たら、自分のイメージ以上の出来栄えなので、このレベルまでは
すんなりできる、という刷り込みがされたようです。
試してみるのが楽しみです。
身体って、こんなに思考に左右されるんですね。
不思議ですね。』
私もそう思う。
『できない』 『なんとかできるようにしなくっちゃ』
と思っている時はどこかで必要以上の力が入っている。
気付かないうちに出来ない方向の条件を作っている。
人は何もない真っ白の状態にはなりにくいが
既存のやり方でない、覚えのないアプローチから入ると
『あれっ!?』
と言う感じでできてしまうことがある。
その方が『できない』と思っておられたことを
その方の概念の外でやっていただいたので
自然に力が抜けたのだろうと思われる。
いったん『できない』ことを目に見える場所に置きながら
違うアプローチをすることで思いがけない方向から別のこともつながることが多々ある。
そうして体感したことは体のあちこちで
それができたらこちらも待ってました!と
散々試行錯誤して準備が出来ていた他の部分が反応してくる。
役に立ちそうなことは何でも使う。
小さな子供が高いおもちゃでなく、どのの家にもあるティッシュの箱とか
お鍋のふた、段ボール箱で遊んでいるのを見ると
発想を変えれば何でも遊べるおもちゃになり
大人でも「できる」ための閃きになることを面白く思う。
いったん「できる」ことを体感すると心がそれを当たり前に認識し
体が覚えてくれるもののようである。
感覚を忘れてしまうことがあっても、いったん「できた」感覚に
体は再び会いたがる。
いったん「できた」ことはできるようになる。