顔の表情、体の表情
感覚をクリアーにしていく作業
6月21日㈰サンケイホールプリーゼで行われた
現代舞踊協会関西支部公演「今ここから」
に出演させて頂いた。
クリエィティブダンスシアター
「祈りなきキャラバン」
(振付・演出:白野 利和)
体なり心なり、何かを封じられた中で
生きていくことは
封じられたものの代わりに値するものが
鋭敏になり研ぎ澄まされていく。
実際の日常生活における自分自身は
五体満足で動くのに困ることはないが
「これは使えない」
と、制限が与えられると
なんと大変なことかと実感する。
最初はストレス。
次に実際に動くことのできるものは
「動けない想像上での動けない感じ」
をやってしまう。
どんなに想像を巡らしたところで
頭で考えたものはリアルなものとは違う。
ディスカッションし、試行錯誤し
本を読み、あれこれ思考を巡らし
体を使い・・
辿りつく先は
「余分なものは一切いらない」
ということ。
友人からもらったメールの
「必要最低限」
という言葉。
植物は与えられた環境の中に順応して
生きていける最低限のエネルギーで力を溜めている。
死んだように見えてもライフラインをぎりぎり保って
命の火を灯している。
弱っているように見えても弱いのではない。
計り知れない強いエネルギーを内に秘めたまま
そこに存在する。
本当に必要なところにのみ、エネルギーを通して
いつか再生できるところは、いったん捨てる。
砂漠の中の1本の樹になろう。
そう思った時に
自分をどう見せたいか、の欲がなくなった。
体中のエネルギーは燃え盛っているけれど
静かな時に包まれた。
今あるがままの自分で存在すること。
何の飾りもいらない。
自分はどう思うのか、の自我も必要ない。
思いでなく、ごく自然な感覚だけが
あらゆるものをとらえていく。