心の目に映るもの、映らないもの
顔の表情、体の表情
ちょっと思うところがあって
5年前のうちの発表会のDVDを久しぶりに見た。
私の顔が今よりきつく感じる。
動きもきつい。
この頃はこの頃なりに一生懸命やっていたけれど
もののとらえ方も体へのアプローチもは今とは違う。
顔も体もきつく感じるのは
余裕がないということだと思われる。
心の中を体が敏感に感じ取って
心の中そのままに体が知らず知らず反応し
体の表情と顔の表情が連動しているのだろう。
知らない人が見てもわからないいかもしれないが
自分には笑えるほどわかる。
昨日も書いている「動機」だが
自分が好きでやっていることではあるけれど
「やらなければならない」意識が強かったのだろう。
常に追い立てられている気持ちが強かったように思う。
心が思うままに体が反応する流れが
自然にイコールになる滑らかさは
人としての成長がなければ、自分のものにはならない。
自分の中を整理する作業は
このころもしていたと思うが
今ほどものわかりはよくなく、整理しきれないものを引きずっていたかもしれない。
テクニックの習熟度や踊りのうまい下手ではなく
人としての経験値や整理整頓のあり方は
踊りや競技の内容にそのまま反映される。
今も未熟に違いないが
更に未熟な自分を改めて感じて
この頃の青い自分がいとおしくも恥ずかしい。
何をそんなにがんばってるの?
見えてないことがいっぱいやねえ。
10年前より5年前、それより今の方がいいと自分で思っているが
それも今からのの自分次第で
数年たてば、今の状態を顔を赤らめてみるのだろう。
それもまたよい。
今の自分ができることを整理しつつやってみるだけ。
先に自分が笑ってみれば、またその先はあるということだろう。
果てしないけれど。