決して自分からあきらめないこと
意識の高さと継続の力
ご近所の方だけでなく
うちにはいろんなところからレッスンにいらっしゃる方がいるが
大人はいいなあと思うのは
限られた時間であっても、それを活かす意識を継続しておられることで
変化が出てくるのが見えた時である。
この方が初めて来られたのは、昨年夏の終わり頃だったか
お仕事で全国を飛び回っている方なので、毎月決まっては来れない方であるが
最初は間遠に来られていて
最近は来れる時は続けて来られる。
長座でも、開脚でも腰が丸くなっていたが、先日のレッスンでは
腰が立つ状態で開脚が出来るようになっていた。
新幹線の中で、普段の生活の中でできる限りの注意を払いながら
体の意識をするうち、腰を丸くせずに開脚もできるようになられたらしい。
レギュラーでレッスンしている人たちも
こういうことには敏感で
人の変化を喜びつつ
自分も・・と刺激をもらっておられるのがわかる。
月に一回よりは週に一回、週に一回よりは2回、3回、或いはそれ以上
レッスン出来るにこしたことはない。
やりたい目標があれば猶更そう思うし、踊る人、パフォーマンスをする人、競技をする人は
「できる時に」だけ、レッスンしていたら成り立たないけれども
大人はいろんなことを抱えた上でのことだから
できることしかできない。
環境も成り立ちも同じ人はいない。
「できること」の単位は人それぞれ違うので
簡単に、どれがよくて、どれがよくないと較べることはできない。
でも意識を高く持って、自分ができることの継続をするのは
ゼロではない。
ゼロでなければ、少しずつでも積み重なってくれば
こうして変化は生まれる。
このくらいでは大して変わらないからしても同じ、ではない。
その場の空気に触れて心が動かされていくだけでも
心と体は活性化されて、変わっていくものがあるはずだ。
もっとこうしたい。
もっとやりたい。
もっとこんなふうに。
どれを捨てて、どれを取り、人によっては
障害になるものをぜんぶ捨て去る人もある。
どんな形も自分が選び取っていくものだ。
自分自身出選び取るものなら、どれも正解。
いろんな思いを自分の抱えているものと相談しつつ
「できること」をやっていく。
時間の経過と共に「できること」の単位も
やりたいことへの欲求も
変化する。
「その時できること」が継続が為す一つの形だろう。
その姿にこちらが勇気をもらう。
こちらが伝えるうちに、もっと大きなものをもらっている。
私自身も「できること」「やりたいこと」が
継続によって変化していく。
人から人への連鎖がある。
連鎖は還ってくる。