決して自分からあきらめないこと
どうしてできないのかわからない?
この連休に遠方から、レッスンに来て下さった方とお話ししていたら
その方の先生は一生懸命教えて下さるが
できないことをどうしたらできるか
体の使い方はどうするのかはおっしゃらない。
お聞きすると
「子供のころからやっているから、生徒さんがなぜできないのかわからない」
と、おっしゃるらしい。
なんでできないのかわからない、と言われる先生の気持ちも
それを言われた生徒さんの気持ちも、どちらもわかる気がする。
私も言われたことがある。
「あなたがどうしてできないのかわからない」
穴があったら入りたいくらい情けなく恥ずかしい。
と同時に
「それがわかってたら習ってませんわ」と突っ込んでおりました(もちろん心の中で^^;)
そして思ったことともある。
「なんでできないんだろう?こんなに懇切丁寧に説明してるのに」
そして今思うこと。
人は必要がなければ考えもしないのだ。
どんなにがんばってもできないのは才能がないから?
いや違う。
自分の体がわかっていないから、自分の体ならどうやって使うのか
人が出来るのに自分が出来ないのは、どこがどう違うか
冷静に考えることができないからではないのか。
できなくても仕方ないと思ってしまうからではないのか。
なぜできないのかわからないのは、教えるにしろ、教わるにしろ
自分がそれを本当に必要とする状態になっていないからだ。
人に教えるためであれ、自分が出来る状態になりたいためであれ
「どうなっているか?」
を、徹底的に観察しなければわからないし
推し量ることができない。
どう違うかを知るのも、その立場にならなければわからない。
求めなければ与えられない。
人の体は変わる。
無意識の状態で出来てきたものは体が変われば
今までできていたことができなくなることもある。
できなくなって答えを求めて、考えてみつめて考えて
ようやく何かのきっかけのヒントを得た時に
栓が抜かれたように流れ出す。
「産みの苦しみ」とはよく言ったものだ。
産まれ出るには細い産道を潜り抜けなければならない。
産まれ出にくいところを通らなければ行けない。
「どうしてできないのかわからない」
を通って初めて曲がり角の向こうに道が見える。
自分自身で考えるから腑に落ちる。
考え続けているから、少しのヒントでも得られれば
一挙に栓が抜ける。
悩んでみなければ得られない。