本当に求めていることだけが自分のものになる
[[見出し:不器用はハンデではない]
私は不器用な人が好きだ。
自分が不器用だから、なかなかスムーズにいかない人を見ると
まるで自分を見ているような気持ちになる。
不器用な人は自分ができないことを知っているから
みな真摯に一生懸命取り組む。
その無垢な姿ですることを継続するうち
何かのきっかけで、びっくりするようなきれいな花を咲かせるのだ。
それはどこにもない唯一無二の花である。
私は舞台で使う衣装の殆どを自分で作る。
デザインしたり、縫ったり、染めたり、補正したりも自分の好きにやっている。
だから知らない人は、誰も私を不器用とは思わない。
私が初めてモダンダンスを教えて頂いた外山千鶴先生は
「衣装も全て踊りのうち」とおっしゃって
作り方を一から教えて下さった。
私も同じようにしてきたので、研究生たちは全部自分で衣装を作る。
初めて衣装を作った時、あまりのひどい出来に、何でもできる母にはさんざん叱られた。
「もう!見てられへん!」
と、やってもらったこと数知れず。
それが嫌で、ひとつの衣装をまともに作るのに
何度もほどき、時には生地を買い直して、おびただしい量を縫っている。
長年作るうちに、そこそこ智恵や工夫が出来て
もうやり直しはせずにできたり、制約にこだわらずに作るようになった。
継続すれば、不器用な人間も不器用とは言われなくなるのだ。
昨日のマイベストプロのセミナー、交流会で
2名のプロの方とご一緒に取り上げて頂き、コラムをどのように活用しているか
ご質問を受けながらお話しさせていただいた。
毎日書く、ということを
私はあまり特別なことには思わずに書いている。
毎日、歯を磨くように自然なこととして
初めはただただ真面目に、だんだんに如何に伝わる様に書くかを楽しんで書かせていただいている。
だから、ご依頼を受けた時は
「なんで私に?」と、不思議でたまらなかった。
特別なことをしている感覚がないからである。
でもセミナーの後の交流会で、多くのプロの方にお声掛け頂いて
お話しさせていただくうち、
毎日楽しんで続けていくことが、不器用な人間が信頼を得ることなのだなと実感した。
自分自身が楽しくて好きなことは人にもストレートに伝わるはずである。
いろんなテクニックを駆使できるほどの器量はない。
不器用だからこそ、等身大の自分を知っていただき
ありのまま、それを求めて下さる方との時間を大切にしていきたい。
不器用なものには、ひとつずつ丁寧に理解して進化する喜びがある。
不器用はハンデではなくて、器用な人より持っていない楽しみを得る機会を
数多く与えられているということだ。
共鳴して下さる方がいらっしゃるのを知り
こちらが勇気をいただいた。
取り上げて頂いたマイベストプロ様にお礼を申し上げます。
話をお聞き頂いた皆様、本当に有難うございました。