できる感覚を知っていればまた出会える
自分貢献
「自分のために」
と言うと、何だか自分勝手で
自分のことしか考えてないようにとらえがちだが
私はこれほど確かなことはないと思っている。
自分自身のことを顧みないで、「人のために」やっていると
評価が得られなければ、腹が立つ。
こんなにやってるのに。
自分を犠牲にしてここまでやってきたのに感謝されない。
周りは自分の働きを何もわからないひとばっかりだ。
自分は何をやってきたんだろう。
もう嫌だ。
やり方も、何のためにやっているのかも、選ぶのは自分である。
人の喜ぶ顔が見たいのは、それを見る自分が嬉しいからだ。
自分も嬉しくて、人にも喜んでもらえるから有難く
より自分をよい方向に向けようと思えるから
更に努力しようとするのだ。
例えば、親の介護をしていくのは、なかなか自分の思い通りにならない。
なんでそんなふうにとるの?
こんなに考えてるのに。
私もそうだったし、いつもイライラした。
でも、反対の立場に立ってみれば、自分のペースでない娘のペースで生活するのは
親にとってみればしんどいことだ。
親のペースに合わせていくと、親が変わってきた。
こちらのいうことを受け止めてくれ、あらゆることがスムーズに運ぶようになった。
自分も嬉しいし、親も喜んでくれる。
自我を消しているが、それで自我を活かしているのだ。
自分のために行きたい道の辿り着き方を変えているだけである。
自分がしたいことのために、自分自身とそれに関わる周りが見えているか、
考えることをしてみる。
自分の心が楽で、いい状態でいろんなことができるようになるために
周りのことをよく見てよく聞き、よく感じる。
自分のためだと考えれば苦にならないが、「人のために」と考えると
評価されたくなるのが人間である。
自分が自分のためにやっている。
誰かに褒めてもらえなくても、自分がいい方向に行けていると自覚できれば
自分の心は満たされる。
それを推し進めることで、人さまが喜んで下されば、これほど有難いことはない。
全くしていることは同じでも、「人のために」と思っていると
褒めてもらえなくては満足できない。
同じことを発想を変え、自分自身に起点を置いてみると
見え方が変化し、自分を包む波動が、それまでとは違ったものになっていく。
自分の心が喜ぶことをする。
自分だけがよくて満足できる人もそうそうはいない。
人にも喜んでもらえることを自分の心が求めるから
悩むし、あれこれ考えるけれど
まずは「自分のため」ありきだと私は思っている。
自分の心が不幸だと感じている人が、人の役には立てるとは思えない。
心が幸せだ、有難いと思えるから、その喜びをより感じ
できれば人にも感じてもらいたいから、人は何かに一生懸命になれる。
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