固定概念を捨てる
1人で立っていること
体の故障や不具合がない限り、人は1人で立っていられる。
ここで言うのは体のことでなく、内面のことである。
人は一人ぼっちで生きている訳ではない。
親がいて生まれて、兄弟姉妹があったり、友達、親戚、学校、職場
結婚すれば配偶者、子供、またその係累も増える。
目的や趣味を共有する仲間、ご近所、その他あらゆるつながりの中で生きている。
生まれて親の庇護を受け、いろんな経験をして大人になっていくが
「1人で立てる」時期は人によって違う。
いい年になったからと言って、1人で立てる訳ではない。
若いから1人で立てない訳でもない。
自分で考え、思うことをどんなふうに形にしていくか
自分の考えを持った上で、どのように周りの人と付き合っていくか
それが「1人で立つ」ことの初めかも知れない。
仲間や大事な人たちと一緒にいるのも楽しく大事なことだが
いつもそれがなくては不安で仕方がなかったり
1人で何かするのが難しかったり、目的に向かう際に
1人では淋しくてできなかったり、は残念なことに思う。
個人的には「自分がどうしたいか」が何よりも大事なことだと思っている。
自分がしたいことがあるから、そのために周りを大事にする。
したいことと周りとの協調を両立させるためにあれこれ考える。
若い頃は、いつも揺れて不安で、誰かに頼りたかった。
したくないこと、嫌なことも仕方なくやっていた。
ある時期から、したくないことをするのはやめた。
その代り、嫌だと思うことの中に面白く思えること、楽しくなることを
探すようにした。
結果、嫌だと思うことが極端に少なくなり、
怒りの沸騰点は若い時とは比べようもなく高くなった。
自分自身が変化していくのが面白く、
体だけでなく、自分の気持ちを自分でコントロールできた方が精神衛生上よく
楽しいことなので、「1人で立つ」ことへのトライは
これからも続いていく。
私の母はどんなに勧めても、亡くなる前日まで、自分でトイレに立った。
我儘な人だったが、人におぶさることはなかった。
親に反抗ばかりしていた娘だが、この母の姿勢は自分の目標になっている。
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