「できない」→「できる」意識コントロール
無意識の意識
昨日、所用に出かけて歩いている時に
ふと気が付けば
背骨を上下に引き伸ばし、脇を寄せて背骨から脚を送るように歩いていた。
常に体のことを考えていると
知らないうちに「無意識の意識」ができているようだ。
何十年を踊ることに関わって暮らしていると
体は「無意識の意識」が習慣化されている。
「こうしなければならない」と課している訳ではなくても
そういう感覚になっている。
だからこそ、気をつけることがある。
自分の弱いところを他のところと均一に近い状態で使うことである。
長年、この仕事に携わっているから
姿勢よく歩けるのは当たり前のことだが、以前は、股関節に痛みが長くあった。
「開く、開く」で自分の身体を理解せずに
無理やり使っていたころの置き土産である。
「股関節に隙間をあける工夫」
「背骨の動きを出す」など、いろいろ考えながら改善して来たので
今はこの痛みはない。
しかし、未知の動きをたくさん繰り返したり、非常に疲れている時などは
以前のようでなくても、少し痛みが蘇ることがある。
そういう時は、過去に慣れ親しんだ体の使い方で反応しているのだろう。
そうなった時にはより意識を明確にしている。
私の祖父は姿勢のいい人だった。
電車で出かける時は目的地の一駅手前で降りて歩くようにしていた。
自宅にいる時も背中を丸めているのは印象にない。
おそらく「姿勢よくしなければ」というのは
「無意識の意識」だったと思われる。
自宅でくつろぐとき、椅子の背もたれを倒して、だらっとしてみることもある。
少しなら気持ちいいのだが、ずっとそのままでいると体が痛くなったり
頭が痛くなったりする。
体は自分にとって、自然な状態に戻りたいようだ。
レッスンで、ある一定の場でだけ、
自分の身体のことを気を付けるようにしても
なかなか習慣にはなりにくい。
「無意識の意識」は毎日の生活の中で
徐々に習慣化していくものだ。
それは「必死」ではなく「無理やり」でもなく
「気持ちよく楽しい」からごく当たり前な自然な状態になっていく。
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うまさきせつこモダンバレエ研究所
せつこのゆったり自分コントロール