放てば手に満てり ~不登校について考える~
12月8日(月)は稲美町社会福祉協議会2Fで不登校の親の会「おやもこ」さんの座談会がありました。
最初に詩「無知の知」を紹介しました。
次に第3回無為塾の案内チラシで「無為」についてお話ししました。
不登校は直そうとすればするほど悪化します。
逆に子どもに対するコントロールや誘導をやめて「そのままのあなたでいいよ」と安心させてあげると子ども自身の自己成長力によって改善の方向へと進みます。
不登校は外側からの強制や管理、指導では直らないのです。
しかし子どもに内在する自己成長力はそれを直すことが出来ます。
その力を引き出すのが親の「無為」の姿勢なのです。
不登校は子ども本人だけが直せる
私のこれまでの経験上、言えることは不登校は親にも先生にもお医者様にもカウンセラーにも直せないんですね。
でも、子ども本人が「学校に行く!」と覚悟を決めたら行けるようになるんです。
当たり前ですが。
そのために親に何ができるでしょうか?
「学校に行かなくてもいいよ。」と安心させてあげること。
それ以外は本人の好物を作ってあげるくらいのもんです。
安心できると自己成長力が活発になって意欲も出てきます。
不登校というお届け物
皆さんね、不登校というと悪いことのように捉えがちですが、そんなに悪いものでもないんです。
不登校になったおかげで自分の夢が見つかった生徒もいます。
子どもが不登校になってくれたおかげで「なんとかしなければ」精神が「なんとかなる」精神に変わって仕事するのが楽になったお父さんもおられます。
そのほかにも不登校はその家庭に色々な気づきをもたらしてくれるものであり、親もそれを通して成長させてもらえる有難いものでもあるんですね。
ある日突然、「不登校」という届け物が家に届けられます。
「いやあ、うちはそんなもの頼んでいません。」と受け取りを拒否すると
配達人は「そうですか・・」と一旦持ち帰るのですが、
いくら調べてもやはりその家への荷物なので再配達に訪れます。
「ですから、そんな荷物頼んでません」と再度受け取りを拒否すると
配達人は「おかしいな・・」と首を傾げて持ち帰ります。
でもやはりそこの家に間違いがないので再度、再配達に訪れます。
「だからうちの荷物ではありません」と受け取りを拒否する。
これの繰り返しをしているのが不登校のお家です。
この「不登校」というお届け物を受け取らない限り、ずーっと再配達が続くのです。
では、どうすればいいのか。
受け取ればいいのです。
「そうですか・・。うちへの届け物ですか・・。わかりました。ありがとうございます。」
と言って不登校を受け入れるのです。
みんなこれをしないのです。
だから不登校の再配達が延々と続くことになるのです。
この不登校の受け入れをしてみると「あら、不思議!」
親も子も気持ちが楽になって笑顔も出てきます。
思っていたのと違って、意外と子どもが家事を手伝ってくれるようになったり、
色々な思ってもいなかった良い変化が出てくるのです。
中には急に学校に行き出したり・・。
受け取ればそこから新しい展開が生まれてくるのです。
絶望の後にこそ新しい展開が待っている
私の経験から言えることは「不登校」が解決する家というのは、
・やれることは全部やったけれど全然良くならなくて絶望された家
・どうしていいかわからなくなって家庭教師である僕に丸投げしてくれた家
・「もう好きにしたらいい。高校も中学校も行かんでいい」と開き直った家
・子どもが「死にたい」と言い出し、「生きていてくれたらそれでいい」」と思えるようになった家
これらのお家の共通点は不登校を直そうという動きが止んだということです。
学校に行かそうとする動きが止んで、静かになるとそこから回復が始まるのです。
今まで親子間で「学校に行く、行かない」の葛藤が止んで、そこで浪費されていた心のエネルギーが本来の前向きな意欲に変わっていきます。
子どもも元気になってきます。明るくなってきます。
親も「まあ、なんとかなるわ」て楽観的に見られるようになります。
そうして家庭内が良い雰囲気になると色んなことがどんどん良くなって、気がついたら不登校の悩みは消えているのです。
不登校になって良かった
僕の生徒で今年公立の美大に受かった生徒が「俺、不登校で良かった」て言ってました。
不登校になったからゲーム動画に興味を持つようになったし、それで動画クリエイターを目指すようになったし、そうして今、美大に合格して「努力したらなんでも夢は叶う」て自信がついた、て言ってました。その子のお父さんは一流企業に勤めておられるのですが息子さんのことを羨ましいとおっしゃっていたそうです。自分の夢を見つけてその道をまっしぐらに進んでいる息子さんを眩しく誇らしく感じていらっしゃるのだと思います。
その生徒のお母さんともお話ししたのですが、今までの出来事(中1の1学期から不登校で高校は通信制)を振り返って、子どもさんの不登校を受け入れる中で色んな気づきや成長があったとおっしゃっていました。
「本当に良かった。」ともおっしゃっていました。
その先にはもっと自由で幸せな世界がひらけている
子どもが不登校になって「死にたい」と言い出す。
親としてこんな辛いことはありません。
でも、そこまで行って初めて良い意味で学校を諦められる。
「そこまで思い詰めてるなら、もう学校はいいよ。いつまでも家におり」て言えるのです。
やっと不登校を受け入れられるのです。
そしてその不登校の底をついたときこそ、新しい可能性の扉が開かれるのです。
それは常識にとらわれず、自分に正直に生きられるようになるということです。
不登校というお届け物は神様から、そこのお家へのプレゼントなのかもしれません。



