講演「子どもが伸びる!自己肯定感を育てる親子関係のつくり方」 明石市民会館
4月6日(日)はペアレントセミナーの日でした。
タイトルは「心理学がわかれば子育てが楽になる」。
約30人の方が参加して下さいました。
最初にこんな質問をしました。
「最近、ご飯とかお菓子がおいしくてなかなか痩せられないのが悩みだという方、手を挙げてください。」
「今、手を挙げられた方は幸せな方です。おいしくご飯を食べられるということは健康な証拠です。それは深刻な悩みがないということです。深刻な悩みがあったら、おいしく食べられないですもんね。」
これは収入が多すぎて、ついブランド品を買ってしまうという悩みと同じようなものです。
物事というのは「物の見方」で随分違って見えてくるものです。
わたし、実は6、7年前借金がたくさんあったんですね。
ある日、友達の家に遊びにいった時、その悩みを打ち明けたんですね。
その場に友達のお父さんもおられてこう言うてくれはったんです。
「借金が出来るということは、それだけ信用があるということや。長谷川君にはそれだけ信用があるということや。」
それを聞いたとき、不思議なことに今まで肩に重く重くのしかかっていた借金が軽くなったような感じがして、
「そうか、オレにはそれだけの信用があるってことか」
そう思うと何か勇気がわいてきて「よし、頑張るぞ!」と前向きな気持ちになれました。
これも「物の見方」です。
「物の見方」一つで、同じ事柄でも幸せに感じたり、不幸に感じたり・・。
子育ても「子どもへの見方」ひとつで、親も子も幸せにしたり、不幸にしたりもします。
「子どもへの見方」は大きく分けて二通りの見方があります。
一つは性善説に立った見方、もう一つは性悪説に立った見方です。
性善説に立った見方とは、
子どもは自ら向上していこうとする性質、良くなっていこうとする性質、つまり善性を宿しているから愛情を持ってあたたかく見守っていれば、自然にいい子に育つという見方です。言い換えれば「信じて待つ子育て、信頼型の子育て」です。
それに対して性悪説に立った見方とは、
子どもというものは放っておいたら何もしない、怠けよう怠けようとするものである。だから親や教師がちゃんと見張っていないといけない、やらせないといけない、導いてやらないといけないという見方です。そこから子どもを管理・強制する必要が出てきますから「管理・強制型の子育て」になっていきます。
ここで皆さんに質問です。
もし、あなたがもう一度この世に生まれるとしたら、あたたかく見守られる「信じて待つ、信頼型の子育て」の親に育ててもらいたいですか?
それとも厳しい「管理・強制型の子育て」の親に育ててもらいたいですか?
そりゃあ、「信じて待つ、信頼型の子育て」の親に育ててもらいたいですよね。
子どもたちはみんなそういうふうに接してほしいと感じています。
愛され、信頼され、あたたかい家庭の雰囲気の中で幸せに育っていきたいと願っています。
また、親にとってもこの性善説に立った子育て、信頼型の子育てというのはとっても楽なんですね。
親が頑張っていい子に育てなくても、子ども自身が自らの力で向上し、良くなっていってくれるわけですから。親がするのはただ一つだけ、愛情を注ぐことだけです。親として賢くある必要もなければ、強くある必要もありません。強いていえばあとひとつ、「信じて待つ」ことだけです。
子どもを愛情を持って世話し、この子は善い子なんだ、素晴らしい子なんだと子どもを信頼し、任せる、待つ。
それだけです。
家には3人子どもがおるんですが、一番上の子は初めての子ということもあって随分かまって育てました。結果、いい子に育ちました。
二番目の子は、二人目ということもあって親にも心の余裕が出来、のんびり育てました。結果、いい子に育ちました。
三番目の子は、男の子で三番目ということもあって放ったらかして育てました。もちろん愛情はいっぱいかけましたが。結果、いい子に育ちました。
今僕が思うのは、かまって育てようが、のんびり育てようが、放ったらかして育てようが、愛情を持って、子どもを信頼して育てれば、みんないい子に育つということです。
みんないい子に育つのであれば、楽に楽しく子育てしていければそれが一番いいように思います。
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