子どもがいないので通常のお墓は建てないが、亡き妻のお骨を神戸市営の合葬墓には入れたくない。
現在のような、石碑としてのお墓が一般的に建てられるようになったのは、
江戸時代の中期以降のころからだと言われています。
それでも、今日のように誰でもがお墓を建てられる時代ではなく、
権力や財力を持つ、一部の富裕層に限られたものでした。
そのお墓も、現在のように一家の墓としてではなく、個人のお墓であったり、
夫婦ごとのお墓というのが、当時のお墓の一般的な形態でした。
その後、1898年(明治31年)に制定の民法で規定された家制度を機に、
一族を中心とした「先祖代々之墓」が建てられるようになったのです。
そして、昭和30年代、40年代からの高度経済成長期を迎え、
郷里から都市部へ多くの人々が移り住むようになると、
その周辺には、大規模な霊園ができ、誰しもが墓所を構え、
一族のお墓という意味合いではなく、その家族を中心とした「○○家之墓」、
いわゆる、一家のお墓として数多く普及されてきたのです。
昭和から平成へと時代が変わると、核家族化、少子・高齢化の問題が、
社会でクローズアップされるとともに、お墓に対する意識も大きく変わってきました。
人が亡くなると、葬儀を挙げ、日々お仏壇に手を合わせ、
お盆、お彼岸などの節目には家族そろってお墓参りに行く。
日本人としてごく当たり前であったこの行為が当たり前でなくってきたのです。
結婚しない、子供をつくらない、子供はいるが娘だけなど、
ひと昔前なら、養子縁組をしてでも「家」を守っていくといった考え方から、
家より個人を重きにおく時代になったのと同時にお墓のあり方にも影響が出ています。
これまで続いてきた「家」というものの崩壊をどうするのかという問題。
先祖代々に渡り、守ってきたお墓や自分自身の終の棲家をどうするのかという問題。
これらの現代社会に突き付けられた大きな問題を解消すべく、
海洋散骨、樹木葬など、新しい形態の葬送が登場してきたのです。
その一つに寺院が運営する「永代供養墓」があります。
~つづく~
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