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お墓と銀シャリ

2010年3月22日 公開 / 2014年8月1日更新

コラムカテゴリ:冠婚葬祭

コラムキーワード: お墓


六世紀に日本へ仏教が伝わると、
お寺に「塔」という、新しいおシャカ様のお墓が建てられました。

お墓を意味する「塔」は古代インド語・サンスクリット語の
「ストゥーパ」から来たものです。

中国では「卒塔婆(そとうば)」「卒都婆」などの字があてられ、
略して「塔婆」「塔」ともいいます。

ただ、塔婆供養に使用する今現在の板塔婆ではありません。

今から約2400年ほど前におシャカ様は亡くなられました。

当時インドでは仏教だけではなく、
他の宗教でもお墓のことをストゥーパと呼んでいました。

しかし、仏教を信じる人々にとってストゥーパは、
おシャカ様のご遺骨・仏舎利(ぶっしゃり)を納めたお墓であり、
供養と礼拝をする大切な場所だったのです。

日本へ仏教が伝わった頃のお寺の
三重塔や五重塔には必ず仏舎利が納められました。

鑑真和上は奈良の唐招提寺に、
弘法大師・空海は京都の東寺に、
中国から仏舎利を持ち帰って納めました。

しかし、本物の「仏舎利」はたいへん貴重なうえ限りがあり、
誰でもが簡単に手に入れることなどできません。

そこで、「法舎利(ほうしゃり)」といって、
仏舎利と同じ価値とされる「写経」を、
仏舎利の代わりにストゥーパに納めて供養をしてきました。

今でもその習慣が残っていて、
お墓に写経をおさめたりします。

中国や日本に伝えられた仏舎利は、
大きさも色も米粒に似ていたので、
お米を大切にする農業国日本では、
早くから、籾(もみ)を仏舎利の代用としました。

有名なのは、昭和28年(1953)に
奈良の室生寺弥勒堂の修理が行われた際に、
堂内の須弥壇の下や天井裏から発見された
全部で3万7387基もの「籾塔(もみとう)」です。

高さ6〜9㎝ほどの小さな木製の
宝篋印塔(ほうきょういんとう)の形をした籾塔の中に、
籾一粒(まれに二粒)がお経(宝篋印陀羅尼)を刷った紙に
包んで納められていました。

今でも、ご飯のことを「シャリ」とか「銀シャリ」といいますが、
もとは仏舎利からでた言葉です。

それほど日本人になじみがあったのです。

※写真は「籾塔」の工芸品です。
※小畠宏允著・石文化研究所発行
 日本人とお墓シリーズ「石塔ってな〜に」より引用

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能島孝志

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