「家紋について」①家紋の歴史

能島孝志

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家紋の起源は平安後期の院政時代だと言われています。
当時、公家は自家用車として牛車を使用し、
参内(さんだい)や物見などにはこれに乗って出かけました。

混雑する内裏(だいり)の前庭や都大路で、
自分の車を識別する目印として紋をつけるようになり、
また自分の車の美しさを誇るためでもあったようです。

公家では牛車や輿車(こしぐるま)に、
武家では旗・幕・盾・武器に記して、
家の目印として用いられました。

家紋の普及につれ、衣服にも使われるようになり、
さらに調度品など生活用具や建築物・墓石・仏具にまで
幅広く用いられるようになりました。

武家が家紋を衣服に付けるようになったのは、
鎌倉時代からで、当時はまだ一般化していませんでしたが、
南北朝時代になって直垂(ひたたれ)に付けるようになり、
これが礼服となりました。

徳川時代には紋を入れた裃(かみしも)を
民間でも用いるようになったのです。

太平の続く元禄記になると、
装飾的な面が強調されるようになり、
鹿子に染めた鹿子紋、
金糸を使った縫紋(ぬいもん)なども出てきました。

用途も衣服だけではなく広範囲に拡大して、
様々なものに使われるようになりました。

例えば、商家の暖簾(のれん)、朱塗りのお椀、
祝い膳、袱紗(ふくさ)、風呂敷、鏡、法被(はっぴ)、
袋物、文庫、酒盃、提灯、線香立て、
墓石、御神輿、幔幕(まんまく)、などで、
明治時代を経て現代に受け継がれています。

家紋は、家督と同様に男子嫡子が継承するのが普通ですが、
次男以下の者が分家をするときに、
本家の家紋を少しアレンジして使ったため、
家紋は分家のたびに増えていきました。

現在そのバリエーションを加えると
五千種を超えると言われています。

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