【神戸市立墓園】2024年(令和6年)秋のお彼岸時期墓参のお知らせ
【天台宗の歴史】
インド仏教は2〜3世紀に中国に伝わり、
独自の展開を見せてゆきます。
中国の風土に合った仏教を模索していた
智凱という傑出した僧は、
世俗を嫌って天台山に入り、悟りを開きました。
天台宗の名はこの天台山に由来しています。
日本においては平安初期、最澄(伝教大師)が
中国で学んで日本に持ち帰り、比叡山で広めました。
この有徳の僧、最澄に感銘を抱いたのが桓武天皇です。
最澄は天台宗の法門を学ぶため、
天皇に遣唐使としての派遣を願い出ます。
最澄が目指していたものは高遠な総合仏教であったことから、
法華円教(天台宗)、真言密教、達磨禅法、大乗菩薩戒とが、
唐で合わせて学ぶ対象とされ、
これが四宗融合として日本天台宗の特色となります。
最澄は帰国して後、開宗の許しは受けたものの、
最大の理解者であった桓武天皇の崩御や、
交流のあった空海との絶縁などの中、巡礼の旅に出ます。
そして、完全に独立した一宗としての
勅許を求めながら、822年に入寂したのです。
臨済宗の栄西、浄土宗の法然、
浄土真宗の親鸞、日蓮宗の日蓮といった、
後に各宗派を開くことになる傑出した高僧らも、
若き日には天台宗を学びました。
天台宗は後に円仁や円珍らによって発展するのみならず、
日本の仏教の発展に大きく寄与することになったのです。
霊園ガイド(六月書房発行)より
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