何歳になっても、してあげたい。
「何度言っても、ゴミの分別を間違えるんです」
高齢の親の暮らしに関わっていると、そんな悩みを聞くことがあります。
でも私は、ゴミの分別は単純に「年齢」の問題ではないと感じています。
95歳でも、きちんと分別できる方はいらっしゃいます。
長年、ゴミを分けて捨てることが習慣になっていて、分別への意識が高い方なら、年齢を重ねても自然に続けていることがあります。
一方で、もともと分別する習慣や意識があまりなかった方に、年齢を重ねてから新しいルールを覚えてもらうのは簡単ではありません。
認知症があれば、なおさらです。
「違うよ」と言い続けても、できるようになるとは限らない
身近な例が、私の義母です。
義母は以前から、ゴミの分別があまり得意ではありませんでした。
そこに認知症が加わり、今では本人なりの「マイルール」でゴミを捨てることがあります。
「これはここ」
「これはこっち」
と説明しても、次にはまた違うところへ。
さらに困るのは、こちらできちんと分別しておいたゴミまで、義母のマイルールで混ぜてしまうことです。
そこで考えました。
本人に正しく分別してもらうことだけを目指すのではなく、周りの人も含めて困らない仕組みにすればいい。
ゴミ箱や袋の置き方を見直し、何を入れるのかが分かるようにラベルを付けました。
このラベルは、義母だけのためではありません。
家に入るヘルパーさんにも分別しやすく、最後にゴミを出す家族も「これを持っていけばいい」と迷わず判断できるようにするためです。
地域の方々に迷惑をかけることがないよう、現在は家族が最後のゴミ出しを担っています。
本人だけでなく、関わる人みんなが動きやすくなる仕組みに変えてみました。
とうもろこしも、ぶどうの皮も「どうぞ」
別のお宅でも、似たようなことがありました。
89歳のお客様のお宅です。
プラスチックごみ用にしていたゴミ箱に、食べ物が入っていることがありました。
ある日は、とうもろこし。
またある日は、ぶどうの皮と種。
そのたびに、
「これはここじゃないですよ」
「ここには入れないでくださいね」
とお伝えすることもできます。
でも、何度か同じことが続くうちに、私は「違いますよ」と伝えること自体に違和感を持つようになりました。
できないことを、そのたびに指摘される。
それはご本人にとって、気持ちのいいことではないはずです。
だったら、正しく捨ててもらおうとするのではなく、こちらの仕組みを変えればいい。
そこで、発想を変えました。
「もう、とうもろこしでも、ぶどうの皮でも、ここに捨てても大丈夫」
そう思えるように、ゴミ箱の使い方や回収の仕方を見直しました。
正しい場所に捨ててもらうことだけにこだわらず、間違えても困らないようにする。
「違いますよ」と言わなくて済む。
それだけでも、ご本人にとっても、関わる側にとっても、ずいぶん違うのではないかと思います。
一人で直し続けるのではなく、関わる人で共有する
そしてもう一つ、大切だと感じていることがあります。
それは、家族や支援する人たちで、同じ認識を持つことです。
家族だけが気づいて分別し直す。
ヘルパーさんだけが対応する。
誰か一人だけが「また違う」と直し続けていたら、その人に負担が集中してしまいます。
「このゴミはここ」
「ここに入っていたら、こう対応する」
そんな小さなことでも、関わる人たちで共有しておけば、一人で抱え込まずに済みます。
そして、一度仕組みを作れば終わりでもありません。
実際に使ってみて、うまくいかなければ、また変える。
その人の行動に合わせて、仕組みの方を少しずつ調整していけばいいのだと思います。
本人を変えるより、仕組みを変えてみる
「何度言ってもできない」
そんなことが続くと、つい「どうしたらできるようになるだろう」と考えてしまいます。
でも、年齢や認知機能だけでなく、これまでの生活習慣によっても、何度説明しても難しいことがあります。
そんなときは、
「どうしたら正しくできる?」ではなく、
「間違えても困らないようにするには?」
と考えてみる。
本人も困らない。
家族も抱え込まない。
支援する人も迷わない。
そして、周囲にも迷惑をかけない。
「できないこと」を直そうとするのではなく、できなくても暮らしが回る方法を探す。
ゴミの分別という日常の小さなことにも、そんな工夫ができるのだと思います。


