義実家だから、強く言えない片付け問題
先日、94歳の母と一緒に、母の実家へ行ってきました。
母から「片付けたい」と頼まれていたからです。
実家といっても、今は誰も住んでいない空き家です。
まず取り掛かったのは、壁に掛かった額を外すことでした。
家の中にはそれほど多くの物はありませんでしたが、仕事柄どうしても気になる物が目に入ります。
賞味期限の切れた食品、昭和を感じる品々、新品のまま残された引き出物やお茶道具。
「これは買取できるかもしれない」
「これは誰かに使ってもらえるかもしれない」
そんなことを考えながら、母が草取りをしている間に、自分で対応できそうな物を軽自動車に積み込みました。
気が付けば、一部屋に集められていた品物の半分以上がなくなっていました。
帰る前に戸締りをしながら、私は改めて驚きました。
この家は空き家なのに、とてもきれいだったのです。
母は時々バスを乗り継いでここへ来て、風通しをしたり、手に持てる物だけ持ち帰って処分したりしていたそうです。
私はその話を聞いて驚きました。
正直なところ、「また連れて来ればいいじゃない」と思っていたからです。
けれど母にとっては違ったのでしょう。
「もう来ることはないかもしれない」
そんな思いがあったのかもしれません。
やりたくても思うようにできない。
気になっているのに手が届かない。
そんな歯痒さを抱えながら過ごしていたのだと思います。
片付いた部屋を見た母は、とても嬉しそうでした。
「移動手段がないから、もうここに来ることはないと思ってた」
「こんなに片付いて良かった。ありがとう」
そう言ってくれました。
私は片付けを手伝ったつもりでした。
でも母が本当に嬉しかったのは、物が減ったことだけではなかったのかもしれません。
長い間、頭の片隅にあった心残りが少し軽くなった。
漠然とした不安が少し晴れた。
そんな気持ちだったのではないでしょうか。
そして帰宅した母が、ぽつりとこう言いました。
「今のこの家にいることが、自分にとって一番良い場所だから」
その言葉を聞いて、私は少し安心しました。
親はいつまでも親だと思っていました。
でも親もまた、誰かの子どもです。
94歳になっても、自分の実家を気にかける母の姿を見て、改めてそう感じました。
また帰省した時には、母を実家へ連れて行こうと思います。
残っている物を片付けるためでもありますが、それ以上に、母の心残りを少しずつ減らしていくためです。
それが今の私にできる親孝行なのかもしれません。


