「現家族」に反映する両親それぞれの「原家族」での生い立ち
無償でも動かない親がいる―ひきこもり支援を分ける「本当の条件」
当協会では、
「たらちねの会」
「うぶすなの庵」
といった家族会を
無償援助活動として行っています。
民間レベルの解決ノウハウを無償で提供するだけあって、
企画段階で関係者数名から、
「画期的な取組みだが、無償であれば依頼が殺到し、
対応が困難では?」
という心配の声もありました。
確かにそういう懸念を抱かれるのは、
一般的にもっともだと思われるでしょうが、
私は全くそんな心配はしておりませんでした。
と言いますのも、これまでの支援経験から、
お金がかかれば何もしない、無償なら動くといった、
経済的な条件が実行、不実行の要件ではない
ことを認識していたからです。
お金の有無が、親の行動を決めるのではない
目の前の問題解決に対して動かない家庭は、
たとえ無償でも動きません。
もちろん、黙って見ている間に、
第三者がわが子の不登校、ひきこもりを
無償で解決してくれるのなら依頼があるでしょう。
自分は動かなくていいわけですから。
しかし、当協会の支援法のように、
ご家族にも一緒に動いて頂く方法の場合は、
自分たちが動かなければならないとなると、
少々違ってまいります。
では、何が実行、不実行を分ける要件なのか
ということですが、それは、
困っているか、いないかです。
「困ったもんだ」と「本当に困っている」は違う
「えっ?、わが子がひきこもっていて、
困っていない親なんているのか?」
と思われたと思いますが、
困っていない家庭もあります。
厳密に申しますと、
「困ったもんだ」とは思っていますが、
「わが家にはそのままにはできない
改善、解決を要する問題が起こっており、
何らかの対策を講じる必要がある。
そのために、自分が動き、手立てを探し出すことを
始めなければならない」
というところまで意識していない家庭が、
少なからずあるということです。
つまり、感情的不全感にとどまり、
問題意識にまで至っていないのです。
この状態では、本気で困っているとは言い難いのです。
親が何を最優先にするかで、子どもの変化は決まる
また、困った問題はそのことだけではなく、他にもあり、
優先順位としてわが子の不登校、ひきこもりよりも
そちらが優先されてしまっています。
子どもが困ってしまっていることを
最優先に考えられるようになった家庭では、
確実に子どもに変化が現れます。
子どもの二分法思考は、親にも表れる
「保健室登校では意味がない。行くんだったら教室。
それが出来ないから行かない」とか、
「自分のやりたい仕事でないと続かないから、
やりたいものが見つかるまで働かない」
「バイトじゃダメだから、正職が決まるまで何もしない」
など、all or nothingの考え(二分法思考)しか
できない青年たちが多いですが、
その家族(親)もまた、
「やるんだったら完全解決。改善ぐらいだったらしても一緒」
しかもその解決は、
とにかく再登校、進学、就労と捉えておられるようで、
自身の手間を必要とする(あたりまえですが)のならば、
無償支援でも「nothing!」
としてしまうケースも少なくないのです。
結果だけを急ぐ家庭ほど、何も始められない
でも、何も始めなければ、
当然事態は深刻化していくだけです。
何もせず長期化させてしまい、
最大の困った事態にしてしまう前に、
改善を積み重ね、解決へ導いていけばいいのです。
経過を飛ばし、結果だけを急ぐ傾向がよく見られます。
家族会は、親が「動き続ける力」を育てる場
「たらちねの会」では、
学習会と交流会で、実例を交えて、
支援者側からお伝えしたい情報を解説します。
「うぶすなの庵」 は、座談会形式で、
質問に対してすべてお答え致します。
いずれも自助グループの形態を取っています。
月に二度の会で、学びを重ねるごとに、
子どものことがより理解できるようになり、
事態を受容でき、
そのことが家族側のメンタルヘルスにもつながり、
解決のためのモチベーションの維持に役立つのです。
無償支援に人が殺到しない本当の理由
この形態を取ることで、自然に
手間を惜しまない親御さんたちが残っていきます。
ただ話を聞きたい人ではありません。
誰かに解決してもらいたい人でもありません。
わが子の問題を自分たちの家庭の課題として受け止め、
学び、自らも動こうとする親御さんです。
だから私は、無償にすれば
対応できないほど人が殺到する、
という心配をしていませんでした。
無償であることが、人を動かすのではありません。
自分が動かなければ、この問題は変わらない。
そう理解した親だけが、学び続け、
改善を積み重ねていくからです。
ひきこもりの解決を分けるのは、
支援に経済的負担があるかどうかではありません。
親が、本当の意味で困っているか。
そして、その困りごとを、
誰かに任せる問題ではなく、
自分も動くべき問題として受け止めているか。
そこが、すべての始まりなのです。
そして当然、家族の絆の再生をなし、
ひきこもりに終止符をうつことが可能となるのです。


