事態に対してどう臨むか?
ーーはじめにーー
子どもが親に求める承認は、
成果や実績への評価ではありません。
ありのままの自分への期待と信頼、
つまり存在そのものを
認めてもらうことです。
親による存在の承認が、
子どもの生きる土台と
社会へ向かう力を支えます。
目次
子どもが親に求める「承認」とは期待と信頼
子どもたちが、
親に対して求める最大のものは、
「承認」だと思われます。
「承認」とは、期待と信頼です。
親から期待されたい。
信頼してほしい。
ということです。
どの親御さんでも、
「わが子に期待せず、信頼しないなど
あるはずがありません」
とおっしゃいますが、
実は、子どもが望んでいる期待と信頼は、
どうやら親御さんが思っているものと
少々違っているようなのです。
ここに、同じ承認でも、
他人からの承認と親からの承認の
意味合いの違いといったことが
関わってきます。
他人からの承認と親からの承認は何が違うのか
他人からの承認は、
何らかの成果、結果つまりは
実績に対してこそ得られるものです。
ですから、それを得るためには
時間もかかりますし、実力が必要です。
では、親からの承認は
何に対してなのでしょうか?
これが他人と同じように、
何らかの実績、てがらに対してであれば、
子どもたちはおり場を
失くしてしまうでしょう。
条件つきの期待では子どもの承認欲求は満たされない
先ほど申し上げた、
子どもが望む期待と承認と
親のそれとの違いは、
子どもたちがありのまま、そのままの
自分に期待してほしい、信頼してほしい
と思っているのに対して、
親は、自分の期待通りになってほしいし、
そうでなければ信じません。
となってしまっていることが多いのです。
つまり、親の望み(エゴ)という条件つきで、
認めますよ、愛しますよ。
と、なってしまっています。
これでは、子どもたちが望む承認欲求は、
満たされません。
親が承認してあげられるのは、
存在そのものです。
「何をしたら」という
条件つきではならんのです。
何をしようが、そこにいる
そのままを認め、愛してあげるのです。
そうでなければ、
子どもたちは親の期待に応えなければ
愛されない(価値のない存在)と
解釈してしまいます。
存在は、命そのものです。
そこに息をして、生存しています。
命(存在)を尊べば、子どもたちは、
その命をどう活かすか、
どうはたらかせるかを
考えることができます。
人間は、生活していく生き物です。
「生活」とは、生命を活かしていくことです。
生命(存在)を活き活きさせることです。
より価値あるものにしていくことです。
存在の承認が子どもの生きる土台をつくる
親からの存在の承認を
もらえていない子どもたちは、
生きていく根元が空洞化しています。
あたかも耐震構造が不十分な
ビルのようなもので、
少しの揺れ(ストレス、アクシデント、トラブル)に
もろくも崩れ去ります。
脳や骨の空洞化が、
どれだけ甚大な影響を
身体に与えるかを
想像してみられてください。
自分自身がここにいていい理由、
いなければならない理由、
必要とされている実感を
得られなければ、
社会の中で人と関わりあいながら
生きていく意味を見い出し得ません。
いくら「学校に行きなさい」とか
「仕事をしなさい」と言われても、
存在そのものを
肯定してもらえていない(愛されていない)と
感じている子どもにとって、
虚しさを感じるばかりでなく、
その場からも必要とされていない
ということを感じることに
恐怖する状態にあっては、
「それ以前の問題なんだっ!」
と叫びたい思いなのです。
親だからこそできる「存在」への承認
「承認」というものは、
“存在”と“はたらき”に対して
与えられます。
はたらき(成果、実績)に対しては、
主に他者がそれをなし、評価します。
親だからこそできることは、
存在に対してです。
親が、この世にわが子の存在を
在らしめた張本人だからです。
存在を在らしめた者から、
存在を否定される矛盾のむごさを
分かって下さい。
本人が動けない今も、家族にできることがあります。
不登校・ひきこもりの問題は、
本人が動き出すのを待つだけではありません。
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