福岡の偉人:北九州市 地方からオペラを根づかせたソプラノ歌手 長門美保
日本のトイレは、ずいぶん出世した。
昔は、ただ用を足す場所。
それが今では、近づけばフタが開く。
座れば温めてくれる。
終われば洗ってくれる。
立ち上がれば、勝手に流してくれる。
……こちらは、何も指示していない。
完全に専属秘書付き。
そのうち、入室しただけで
「本日のご予定はいかがいたしましょうか」
と聞かれそうだ。
同じ目的なのに、待遇が違う。
海外に行くと、トイレ事情の違いに驚くことがある。
便座が冷たい。
紙を流せない。
水の勢いが違う。
日本では当たり前の設備が、
海外ではそうではない。
紙を流せない場所では、
使用済みの紙を備え付けのゴミ箱へ。
日本では水に流して終わる仕事が、
海外ではゴミ箱まで出勤する。
紙にも、ずいぶん働き方の違いがある。
同じ用を足すだけなのに、
国によって設備も作法も違う。
便利の基準は、育った環境で変わる。
考えてみれば、トイレだけではない。
寒い地域では、家の断熱が重要になる。
暑い地域では、風通しが重要になる。
雨の多い地域と少ない地域では、雨への備えも違う。
暮らしている環境によって、
必要なものも、
便利だと感じるものも変わってくる。
つまり、便利には絶対的な基準があるわけではないということ。
その土地の暮らしが、便利の形を決めている。
便利にも、地域性がある。
そう考えると、日本のトイレはかなりの高待遇だ。
フタが開き、便座が温まり、洗浄までしてくれる。
ここまでくると、
用を足しに来たのか、
接待を受けに来たのかわからない。
しかも、こちらは料金交渉もしていない。
至れり尽くせり。
便利を追求した結果、
トイレはどんどん高機能になり、
使う側は座っているだけ。
そのうち、トイレが人間を評価する時代が来るかもしれない。
「この方は、長時間滞在されました」
「節水への協力度が低いようです」
「次回は、もう少し手際よくお願いします」
……完全に利用者評価制度。
便利になったのはいいけれど、
トイレに勤務評価までされたくない。
世界中で同じなのは、
用を足すという目的くらい。
便利の基準は、
どうやら国境を越えないらしい。
トイレは出世した。
あとは、こちらがその待遇に見合う利用者になれるかどうか。
いや、そこまでの人事評価は欲しくない。



