福岡の偉人:福岡市・芦屋町 政界の表舞台に立たず時代を動かそうとした杉山茂丸

鎌田千穂

鎌田千穂

テーマ:この世界、知らんことだらけ

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さぁ、今週も金曜日になりました。
福岡を語る上で、忘れてはいけない人がいます。

世の中を変えたいと思ったとき、
自分が先頭に立つ方法もあれば、
人をつなぎ、裏側から動かす方法もあります。

今回は、福岡市に生まれ、芦屋町とも縁の深い政治運動家。
杉山茂丸(すぎやま しげまる/1864年~1935年)のお話です。

福岡に生まれ、芦屋で過ごした少年時代

杉山茂丸は、元治元年(1864年)。
福岡藩士の家に生まれました。

父は杉山三郎平。
幕末から明治へと時代が移る中、
三郎平は幼い杉山茂丸を連れて芦屋へ移り住みました。

明治維新によって、
武士の時代は終わりを迎えます。

藩に仕えることで成り立っていた暮らしも、
これまでと同じではいられなくなりました。

三郎平は芦屋で農業や漁業に関わり、
杉山茂丸もまた、時代の変化の中で少年時代を過ごしたと伝えられています。

やがて杉山茂丸は、
国のあり方に強い関心を持つようになります。

その背景には、
江戸幕府が終わり、
新しい政府が生まれた時代そのものがありました。

国の仕組みは変わった。
しかし、新しい政府が本当に国民のために動いているのか。
誰が国を動かし、誰の声が政治に届くのか。

若き日の杉山茂丸は、
そうした問題に向き合っていきます。

伊藤博文を倒そうとした青年

明治時代、日本は近代国家として急速に姿を変えていきました。

一方で、
政府の中心には薩摩や長州など、
旧藩出身の有力者が大きな力を持っていました。

自由民権運動が広がり、
国会の開設や政治への参加を求める声が高まる中、
杉山茂丸も政治への不満を募らせていきます。

若き日の杉山茂丸は、
フランスの思想家ルソーの『社会契約論』に触れ、
政治や社会のあり方について考えました。

そして、
明治政府の中心人物だった伊藤博文を、
藩閥政治の象徴とみなすようになります。

伝記などに伝えられるところでは、
杉山茂丸は伊藤の暗殺を企て、
面会に赴いたといいます。

ところが、
そこで待っていたのは、
自分が想像していた人物像とは異なる伊藤博文でした。

伊藤と直接話をした杉山茂丸は、
説得を受け、暗殺計画を断念したと伝えられています。

この出来事は、杉山茂丸の生涯を考えるうえで興味深い転機。

政府を倒すことを考えていた青年が、
やがて政府の中心にいる人物たちと関わり、
政治の内側に働きかけるようになっていくのです。

怒りを行動に変えることと、
目的を実現するために方法を変えること。

その違いが、杉山茂丸のその後の生き方につながっていきました。

頭山満との出会い、そして玄洋社

杉山茂丸の人生を語るうえで、
欠かせない人物がいます。

福岡出身の頭山満です。

頭山満は、
明治時代に福岡で活動した政治運動家で、
玄洋社の中心人物として知られています。

玄洋社の前身となった向陽社は、
自由民権運動に関わり、
国会開設を求める活動を行いました。

その後、明治14年(1881年)に玄洋社へと改称されます。

玄洋社の社是には、次の三つの言葉が掲げられていました。

- 皇室を敬戴すべし
- 本国を愛重すべし
- 人民の権利を固守すべし

国を重んじることと、人民の権利を守ること。

この二つが、玄洋社の理念の中に並んでいます。

玄洋社は、後世には国家主義や対外進出と結びつけて語られることもあります。
しかし、その歩みは一つの言葉だけでは説明できません。

自由民権運動との関わりから始まり、
時代の変化とともに活動の範囲も広がっていきました。

杉山茂丸は、
若い頃に頭山満と知り合い、
玄洋社の活動にも関わるようになります。

杉山茂丸が担ったのは、
政治家として表舞台に立つことだけではありませんでした。

人をつなぐ。
資金を集める。
事業の構想を練る。
そして、政治の中心にいる人物たちに働きかける。

そうした活動を通して、
杉山茂丸は政界との関係を深めていきます。

頭山満が玄洋社の精神的な支柱として知られる一方、
杉山茂丸は人脈や構想を生かして、
政治や経済の動きに関わっていきました。

二人は同じ時代を生きながら、
それぞれ異なる立場で活動したのです。

政界の表舞台に立たず、何を動かしたのか

杉山茂丸は、伊藤博文、山県有朋、松方正義、桂太郎、児玉源太郎ら、明治から大正期の政界や軍部の有力者たちと関係を築きました。

官職に就いて政治を動かすのではなく、
政界の外側から有力者に働きかける。

その活動から、杉山茂丸は「政界の黒幕」と呼ばれるようになります。

しかし、杉山茂丸の仕事は人脈づくりだけではありませんでした。

日露戦争後の満州経営をめぐっては、
南満州鉄道の創設に関わりました。

また、日本興業銀行や台湾銀行の設立、
九州の産業開発に関わる事業にも力を注いだとされています。

こうした仕事には、政治と経済を結びつけ、
国や地域の将来を形にしようとする杉山茂丸の姿勢が表れています。

杉山茂丸は、官職に就くよりも、自分の立場から政治家や実業家に働きかける道を選びました。

政治家が方針を決める。
実業家が資金や事業を担う。
その間に立ち、計画を実現へとつなぐ人がいる。

杉山茂丸は、そうした役割を担った人物でした。

ただし、杉山茂丸が関わった事業のすべてを、郷土や国民のためという一つの目的だけで説明することはできない。

日本の近代化を支えた事業がある一方で、
海外への進出や支配拡大につながった政策もあります。

何を実現しようとしたのか。
そして、その結果、誰にどのような影響を与えたのか。

杉山茂丸の活動を見るときには、
構想の大きさだけでなく、
実際に生み出されたものにも目を向ける必要があります。

アジアへの思いと、日本が進んだ道

杉山茂丸や頭山満らの活動を考えるうえで、
アジアをめぐる思想も重要です。

当時、アジアの国々は欧米列強の進出や植民地支配に直面していました。

その中で、
日本の国力を高め、
アジアの将来に関わろうとする考えが広がります。

玄洋社周辺の人々は、
中国の革命運動に関わった孫文ら、
アジアの政治運動に携わる人物たちともつながりを持ちました。

頭山満も、孫文をはじめとする革命家たちを支援したことで知られています。

欧米列強の支配に対抗し、アジアの人々が自らの将来を切り開くことを目指す。
そこには、当時の人々が抱いた危機感や理想がありました。

一方で、日本自身も朝鮮半島への支配を強め、韓国併合へと進んでいきます。
アジアの自立を願うことと、日本の勢力を広げること。

この二つが、常に同じ方向を向いていたわけではありません。

杉山茂丸も、
韓国併合や満州経営など、
日本の対外政策に関わった人物です。

その活動を理解するには、本人が掲げた理想だけでなく、当時の政策が周辺地域の人々に何をもたらしたのかも見る必要があります。

歴史に残る人物を知ることは、
その人を称賛したり、
否定したりすることだけではありません。

何を目指し、何を実行し、どのような結果を生んだのか。
その一つひとつをたどることで、時代の姿も見えてきます。

そして、誰かが残す記録も書き方次第。
受け止めるのはその記録を読み解く人に全てが委ねられる。

長男・夢野久作へと続く杉山家の歴史

杉山茂丸の長男は、作家の夢野久作です。

夢野久作は、もとは童話作家として活動。
探偵小説や幻想的な作品など、幅広い創作を手がけました。

代表作の『ドグラ・マグラ』は、
独特の世界観を持つ小説として、
現在も読み継がれています。

政治の世界で国のあり方を変えようとした杉山茂丸。
一方、童話や小説を通して、人間の心や想像力を描いた夢野久作。

父と子では、社会との向き合い方も、表現の方法も異なります。

また、夢野久作の長男・杉山龍丸。
戦後、私財をなげうってインドの砂漠緑化運動に貢献。
グリーンファーザーと呼ばれています。

杉山家は、政治、文学、そして海外での緑化活動。

世代が変わるにつれて、
社会への関わり方も変わっていきます。

杉山家の歴史をたどると、
一人の人物の功績だけでは語りきれない、
それぞれの時代を生きた家族の姿が見えてきます。

芦屋でつながった杉山家と吉田家、そして若松へ

杉山茂丸の足跡を追うと、
福岡市だけでなく、
幼少期を過ごした芦屋町にも目が向きます。

芦屋は、杉山家にとって暮らしの場であると同時に、人との縁が生まれた場所でもありました。

そのつながりを示す人物の一人が、吉田磯吉です。

吉田磯吉は芦屋に生まれ、
若松の港湾労働の世界から地域社会や政界へと活動を広げた人物。

北九州の近代史を語るうえで、
欠かせない存在の一人でもあります。

そして、吉田家と杉山家の縁は、
地域に残る資料にも記されているほど。

また、吉田磯吉の父の墓には、
杉山茂丸が墓碑の文字を記したという記録も残っています。

こうした事実からは、歴史上の人物たちが、教科書に登場する大きな出来事だけで結びついていたのではないことが分かります。

同じ地域で暮らし、知り合い、時には仕事や政治を通じて関係を築く。

そのつながりが、後の時代にも残されていきました。

さらに、若松には玉井金五郎と、その妻マン、そして作家・火野葦平へと続く玉井家の歴史がある。

杉山家、吉田家、玉井家。
それぞれの歩みを調べていくと、芦屋から若松へと広がる近代福岡の人々の活動が見えてきます。

政治の世界で国の進路に関わった人。
港や石炭産業を通じて地域を支えた人。
文学を通して、その時代を後世に伝えた人。

それぞれの人生は違います。

だからこそ、人物同士のつながりを一つずつたどることで、福岡の歴史はより豊かなものになっていきます。

杉山茂丸は、政界の有力者たちと関わった人物であると同時に、福岡の地域社会の中で生き、人との縁を築いた人物でもあったようです。

編集後記

何かを変えたいと思ったとき、
私たちは今の自分を否定したくなることがあります。

これまでの考え方では駄目だ。
今までのやり方を全部変えなければならない。

そう考えることもあるでしょう。

けれど、変わるということは、これまでの自分をすべて捨てることなのでしょうか。

杉山茂丸の歩みには、若い頃の考えを出発点にしながら、社会への働きかけ方を変えていった姿があります。

もちろん、その選択や結果をすべて肯定できるわけではありません。

それでも、目的を実現するために方法を考え、関わる人を変え、行動の仕方を変えていくことは、私たちの仕事や暮らしにも通じるものがあります。

自分が大切にしてきたものを残しながら、
新しい考え方を取り入れる。

これまでの経験を否定するのではなく、
それを土台にして次の段階へ進む。

変わるために必要なのは、
過去の自分をすべて否定することではありません。

今の自分に何を加え、
何に対して人間力を高め、
人としての考え方や技術を上げていくのか。

そして、行動から自分の今を整え、
新たな方向を目指し、機会を掴み取るものなのかもしれません。

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鎌田千穂
専門家

鎌田千穂(産業カウンセラー)

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組織課題を広い視野で捉え、主体性を持った思考と行動力、公私の均衡を図る自律型人材育成を行うこと。分析・統計による業務改善の解決策を示し、個人の悩みを解き放ち、企業の繁栄に繋げることが専門です。

鎌田千穂プロは九州朝日放送が厳正なる審査をした登録専門家です

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