福岡の偉人:北九州市 芥川賞から農業へ進んだ作家・鶴田知也

鎌田千穂

鎌田千穂

テーマ:この世界、知らんことだらけ

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さぁ、今週も金曜日になりました。
福岡を語る上で、忘れてはいけない人がいます。

人生には、
「こうなるはずだった」と思ってしまう道がある。

けれど、
歩いているうちに、
別の世界に心を動かされることがあります。

そのとき、
最初に選んだ道を離れることは、
間違いなのでしょうか。

今回は、小倉に生まれ、みやこ町の豊津にゆかりのある作家。
鶴田知也(つるた ともや/1902年~1988年)のお話です。

小倉に生まれ、豊津で育った

1902年、鶴田知也は現在の北九州市小倉北区に生まれました。

幼いころに鶴田家の養子となり、
鶴田姓を名乗るようになります。

養父の転勤に伴い、
小倉、直方、田川、大分と転校を繰り返し。
そして、夏休みや冬休みになると豊津へ帰省。

1915年、豊津尋常小学校を卒業。
その年、現在の福岡県立育徳館高等学校につながる豊津中学校へ進学しています。

鶴田知也にとって豊津は、
単なる「出身地」というだけではありません。

後に、
『椎の木の家』や『わが悪霊』、
『僕達と志摩氏』など、
豊津を題材とした作品を残しています。

自分が育った土地の記憶は、
後の文学の中にも生き続けることになります。

北海道で出会った「農業」と「文学」

鶴田知也の人生を考えるうえで、
大きな意味を持つ場所があります。

北海道の八雲。

若いころ、八雲を訪れた鶴田知也は、
そこでさまざまな仕事をしながら半年ほど過ごしました。

北海道の農業、
特に酪農に関心を持つようになります。

そして、もう一つ。
ロシア文学を読み漁ることも。

つまり鶴田知也は、
北海道で「農業」と「文学」という、
後の人生につながる二つの世界に出会っています。

この二つは、
一見すると別々のものに見えました。

ですが、
振り返ると、
鶴田知也の人生では、
この二つが何度も交差していきます。

葉山嘉樹との出会い

1920年代、
鶴田知也は文学の世界へ。

大きなきっかけとなったのが、
同郷の作家・葉山嘉樹との出会いでした。

葉山に誘われて上京し、
労農芸術家連盟に加わり、
雑誌『文芸戦線』を舞台に作家活動を始めます。

当時の日本では、
労働者や農民の生活を描くプロレタリア文学が盛んになっていました。

鶴田知也も、
その流れの中で作品を書いていきます。

そして、
鶴田知也の名前を一躍知らしめる作品が生まれます。

『コシャマイン記』で芥川賞

それが、『コシャマイン記』。

アイヌの悲劇を題材としたこの作品は高く評価され、
1936年、第3回芥川賞を受賞しました。

芥川賞作家。

この肩書だけを見ると、
ここが鶴田知也の人生の頂点だったようにも見えます。

けれど、
鶴田知也の人生は、
ここで終わりません。

むしろ、
ここからが興味深いところです。

「芥川賞作家」だけでは終わらなかった

戦後になると、
鶴田知也は農民文学の活動に関わるようになります。

日本農民文学会の結成にも関わり、
農村や農業を題材にした文学を書きました。

さらに1955年には、
児童文学『ハッタラはわが故郷』で
小学館第4回児童文化賞を受賞しています。

そして、
鶴田知也は次第に文学の世界だけではなく、
農業そのものへと活動の軸を移していきます。

戦時中に疎開した秋田では、
農業問題にも関わるようになりました。

戦後は、
酪農や開拓、農業の共同経営、農村文化などに関心を広げ、
農業問題の専門家、指導者として活動していきます。

1961年には『月刊農業共同経営』を創刊し、
その編集・発行にも長く携わりました。

文学者として評価された人が、
その肩書にとどまらず、
農業の現場へ入っていったのです。

人生は「一つの肩書」で決まらない

鶴田知也の人生を見ていると、
少し不思議な感覚になります。

芥川賞を取った作家なのに、
晩年の活動を見ていくと、
農業問題の専門家としての姿が大きくなっていく。

普通なら、

「せっかく芥川賞を取ったのだから、
文学を続ければいいのに」

そんなふうに考えてしまうかもしれません。

けれど、
本人にとっては違ったのでしょう。

八雲で農業に興味を持ち、
文学と出会い、
芥川賞を受賞し、
その後は農村や農業の問題へと進んでいく。

振り返ってみれば、
全部が別々の人生だったわけではありません。

文学で人間や社会を見つめ、
農業を通して、
そこで暮らす人たちの生活を考える。

鶴田知也は、
その時々で自分が関心を持ったものへ、
活動の場所を変えていった人だったのかもしれません。

豊津に残る鶴田知也

みやこ町の八景山自然公園には、
鶴田知也の文学碑があります。

そこには、
同じ豊津ゆかりの作家である葉山嘉樹の文学碑もあります。

二人の文学碑は向かい合うように建てられています。

鶴田知也が葉山嘉樹に誘われて文学の世界へ進んだことを考えると、
この二つの文学碑が並んでいることにも、
不思議なつながりを感じます。

一人の人間の人生は、
本人だけで完結するものではありません。

誰かとの出会いが、
次の道を開くことがあります。

そして、その道を歩いた先で、
また別の世界に出会うこともあります。

鶴田知也の人生は、
そんな「出会いによって広がっていく人生」だったのではないでしょうか。

編集後記

人生の途中で、
方向を変えたくなることがあります。

最初に決めた仕事。
目指していた場所。
周囲から期待されていた役割。

そこから離れようとすると、

「ここまでやってきたのに」

そんな気持ちになることがあります。

せっかく積み上げてきたものを、
捨ててしまうように感じるからです。

でも、
鶴田知也の人生を見ていると、
必ずしもそうではないように思います。

芥川賞を受賞した文学者が、
その後、農業の世界へ活動の軸を移していった。

それは、
それまでの人生を否定したということではありません。

八雲で出会った農業。
若いころに読み漁った文学。
葉山嘉樹との出会い。
豊津で過ごした記憶。

それまでの経験が、
形を変えながら、
次の人生につながっていったのではないでしょうか。

人生の中で一度決めた道。
それを最後まで歩み続ける必要はありません。

途中で興味が変わってもいい。
見える景色が変わってもいい。

とはいえ、
これまで積み上げてきたものを、
全部捨てる必要もありません。

持っているものを使いながら、
次の場所へ進んでいく。

そんな自分の気持ちに向き合う生き方の方が自分らしい。

もし今、
「このままでいいのだろうか」と考えている人がいるなら、
鶴田知也の人生は、
ひとつの答えになるかもしれません。

あなたの人生はあなたしか決められません。

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鎌田千穂
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鎌田千穂(産業カウンセラー)

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組織課題を広い視野で捉え、主体性を持った思考と行動力、公私の均衡を図る自律型人材育成を行うこと。分析・統計による業務改善の解決策を示し、個人の悩みを解き放ち、企業の繁栄に繋げることが専門です。

鎌田千穂プロは九州朝日放送が厳正なる審査をした登録専門家です

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