「老害」という言葉が流行る職場は“別の病気”が蔓延しています
仕事をしていると、
「それ、正しいんですけどね……。」
と思うことがあります。
説明も正しい。
仕組みも正しい。
理屈も合っている。
なのに、
現場に出した途端、予定どおりにいかない。
そこまで考えてないことあるある。
机の上では、完璧だった
以前、GPS付きのランドセルがあったそうです。
子どもの居場所が分かる。
寄り道しても安心。
大人からすると、
よくできた商品。
ところが。
子どもは、
ランドセルを置いて遊ぶ。
公園に置く。
友達の家に置く。
そして、
本人だけ走っていく。
GPSは律儀です。
「ランドセルは、ここにいます」
……うん。
ランドセルの居場所だけは明確。
知りたいのは、そっちじゃない。
GPSは、
ちゃんと仕事をしている。
ただ、
仕事の相手を間違えたわけでもない。
そもそも、
「何を知りたいのか」のほうがズレていた。
作る側の「こう使う」
仕事でも、
似たことがあります。
「これなら便利になる」
と新しい仕組みを作る。
入力欄を増やす。
確認項目を増やす。
マニュアルも作る。
そして、
「ちゃんと使ってください」
と言わないといけなくなる。
ところが現場では、
「その手順を増やすくらいなら、今までのでいい」
だったりする。
作る側は、
機能を足した。
使う側は、
仕事を足された。
……話が違います。
使うところまで行ってみる
作る側には、
「こう使うはず」がある。
ところが、
実際に使う場面では、
予定にないことが起きる。
置く。
忘れる。
省く。
飛ばす。
別の方法で済ませる。
人は、説明書の中にはいません。
だから、
作るときに見るのは、
機能だけじゃない。
実際に、どう使われるのか。
ランドセルなら、
子どもがランドセルを置くところまで。
仕事なら、
その仕組みを使っている現場まで。
そこまで見ると、
机の上では見えなかったことが、
案外あっさり見えてきます。
正しいだけでは、足りない
正しい。
便利。
高機能。
それでも、
使われないことがあります。
だから、
「なぜ使わないんですか?」
と聞く前に、
「どう使っているんだろう?」
を調査する。
使い方を決めるのは、作る側ではありません。
多分こう使うだろうってのは妄想です。
……ランドセルだって、
まさか置いていかれるとは、
企画書には書いてなかったでしょうけどね。
実際に浸かってみないとわからない。
頭の中の想像は自分にとって都合が良いことしか見つけない。



