言葉本来の役割を理解:心を和ませる時間を作る
不安は、人から人へコピーされる。
熊本で地震がありました。
被災された方が、一日も早く安心して過ごせることを願っています。
そのうえで、今日は少し別の話です。
朝。
スマホを見る。
「熊本で地震。」
心配になる。
ニュースを見る。
SNSを見る。
・・・さらに見る。
気づけば、
地震の情報より、
人間の不安の実況中継を見ている。
( ̄▽ ̄;)
不安は、なぜ広がるのか
ここから人間バグ。
楽しい話は、
「聞いて!」
とお願いしないと広がらない。
でも不安は違う。
勝手に営業してくる。
「危険かもしれない。」
この一言だけで、
脳は勝手に反応する。
なぜなら、人間にとって、
「危ないかもしれない」
を無視することは、生存に関わるから。
不安には拡散機能がついている
最近でも、
「あそこに熊が出たぞ!」
これは急いで伝える必要がありました。
伝えなかったら、
本当に危険だったから。
でも現代。
危険情報を伝える道具だけ、
異常進化しました。
昔の村の伝令係に、
インターネットを渡したようなものです。
……昔の危機管理能力に、
SNSという拡声器を持たせてしまった。
( ̄▽ ̄;)
心配と不安は違う
ここが一番大事。
心配する。
これは優しさ。
でも、
確認できない情報まで広げる。
これは別物。
誰かを守りたい気持ちが、
別の誰かの不安になることもある。
最後
人は不安を共有する。
でも、不安まで次の人に渡さなくてもいい。
情報は確認して渡す。
心配は寄り添う。
でも、不安は一度自分のところで止める。
それが、今の時代の優しさなのかもしれません。
ちなみに私は、
地震速報を見るたびにスマホを握りしめます。
よく考えたら、
不安をボディーブローのように打ち込んでくる相手を、
一番大事そうに抱えています。
( ̄▽ ̄;)


