第65回 冒認(ぼうにん)と「日本特許法の父」清瀬一郎博士
2019年元日のNHKスペシャル番組『“コスパ社会”を越えて@渋谷』に対し、Twitter上では「テーマが漠然としたヘンな問いだった」という批判がある。
コストパフォーマンス・インデックス(CPI)は、100年レベルの長い時間で評価されるべきマクロな指標であり、マクロなCPIを高めるために、人類は科学技術を発達させてきたのである。
§1 宇宙規模で「コスパ」を議論するのは意味がない
§2 マクロな集団としてのCPI
§3 ミクロなCPIを議論することに意味があるのか
§4 意味のイノベーション
§1 宇宙規模で「コスパ」を議論するのは意味がない
「ニッポンのジレンマ」がテーマとした「コスパ社会」の「コスパ」とは、「コストパフォーマンス・インデックス(cost performance Index)」に対応する語と思われる。
そもそも、「コストパフォーマンス」は和製英語であり、「費用対効果」を意味するならcost benefit又はcost effective等の言葉で説明すべきである。1971年のウェブスター(Webster’s New International Dictionary) の第3版にはcost performanceの語は見いだせない。
最近は日本語からの逆輸入英語として、cost performanceの語が英語圏のネイティブにも通用し始めているようである。しかし、「ハイコストパフォーマンス」と言ったとき、「ハイコスト(high-cost)」なパフォーマンス(performance)と捉えられる危険性がある。
コストパフォーマンス・インデックス(CPI)とは、「特定の目的に対する施策の実施にかけたコスト」に対して「それによって得られた成果(効果)」が適切かどうかを判断する指標(Index)のことで、特定の目的のプロジェクトや製品に対して定義される効率を意味する言葉である。
達成価値(Budgeted Cost Work Performed)をBCWP、実際に使ったコスト(Actual Cost Work Performed)をACWPとすると、コストパフォーマンス・インデックス(CPI)は、
CPI=BCWP/ACWP……(1)
で計算される。
1979年にノーベル物理学賞を受賞されたスチーブン・ワインバーグ(Steven Weinberg)博士は「宇宙のことが理解できるように見えてくればくるほど、それはまた無意味なことに思えてくる」と述べている(S.ワインバーグ著、小尾信彌訳、『宇宙創成 はじめの3分間』、筑摩書房、p216 )。
地球やその上に住んでいる人間の存在は「量子ゆらぎ」という偶然の産物であるとワインバーグ博士は指摘する。宇宙規模で考えたとき、人間の「生きる意味」や「目的」は偶然に過ぎないということになる。「目的」が存在しなければ、「ニッポンのジレンマ」のテーマであるCPIは計算できないことになる。
§2 マクロな集団としてのCPI
仏教学者の佐々木閑博士は、ワインバーグ博士の言葉を受け、「誰も生きる意味を与えてくれない世の中で、絶望せずに生きるためには、自分の力で生きる意味を見つけて行かねばならない」という、釈迦の仏教の教えを、超弦理論で有名な大栗博司博士との対談の中で述べている(佐々木閑、大栗博司著『真理の探究』、株式会社玄冬舎、p188)。
なお、佐々木先生は現在の日本の仏教は「釈迦の仏教」とは異なる大乗仏教であると言われている。
個々の人間のそれぞれの生きる意味は異なるであろうが、人間はマクロな集団として社会を構成している。マクロな意味では、図1に示すように、長い諸世紀に渡り人類は科学技術を発達させ、資本を蓄積し、サイクル的に変動させてきた(Giovanni Arrighi, “The Long Twentieth Century”, 1994, London: Verso.)。
【図1】G.アリギ博士の「蓄積システム・サイクルの変容モデル」による長い諸世紀にわたる資本の蓄積の変化を示す図(ジョバンニ・アリギ著、柄谷利恵子他訳『長い20世紀』、株式会社作品社、図10(p339)、図16(p367)を基礎に著者が加工)。
大栗先生は、『「物質的な豊かさでは幸福になれない」という世界観は、最低限の生活が保障される環境が前提になっているので、もう経済的繁栄が不要ということにはなりません』と説明されている(佐々木閑、大栗博司著『真理の探究』、株式会社玄冬舎、p182)。
図2は、ドイツの経済学者メンシュ(Gerard Mensch)の「経済は波状に発達するのではなく、S字状に変化し、間歇的に革新される」という理論に依拠したS字の曲線を1本だけ例示したものである(Gerard Mensch,”Stalement in Technology”, Cambridge,MA: Ballinger, 1979)。
アリギ博士の『長い20世紀』のp367に示された図16には、長い世紀にわたり、資本の蓄積を示す3本のメンシュのS字カーブが、間歇的に繰り返されることが示されている。
【図2】メンシュの変容モデルの基礎となるS字を示すロジスティック曲線
図1に示すように、1本目のS字曲線で示されるヴェネチアの経済の繁栄は約220年続き、ヴェネチアの繁栄が停滞した後期に重複して発生したオランダの経済の繁栄に間歇的に置き換えられている。2本目のS字曲線で示されるオランダの経済の繁栄は約180年続き、オランダの繁栄が停滞した後期に重複して発生したイギリスの経済の繁栄に間歇的に置き換えられている。
3本目のS字曲線で示されるイギリスの経済の繁栄は約130年続き、イギリスの繁栄が停滞した後期に重複して発生したアメリカの経済の繁栄を示す4本目のS字曲線に置き換えられている。経済の繁栄はその時代のCPIが高いことを示している。
図2から分かるようにS字曲線の初期の金融拡大期とS字曲線の後期の第2の金融拡大期のS字曲線の傾きは小さく、CPIの値が低いことが分かる。一方、S字曲線の中間領域である生産・貿易の拡大期においては、S字曲線の傾きは大きく、CPIの値が高いことが分かる。
「ニッポンのジレンマ」のテーマであるCPIは、マクロな意味では100年程度の長い期間を考慮しなければ、計算できないことになる。
§3 ミクロなCPIを議論することに意味があるのか
図1に示したG.アリギ博士の「蓄積システム・サイクルの変容モデル」による、間歇的に連続する4本のS字曲線は図3に示すような50~60年を周期とするコンドラチェフ(Kondratiev)の波のような連続した景気循環を示す波形とは異なるものである。
【図3】コンドラチェフの波
コンドラチェフの波を考慮した場合であっても、「ニッポンのジレンマ」のテーマであるCPIは、マクロな意味では50~60年程度の長い期間を考慮しなければ、計算できないことになる。
2018年ノーベル生理学・医学賞を受賞した本庶佑博士が基礎研究への投資を訴えている。我が師西澤潤一博士は大學の研究者は20~30年先の成果を目指して研究すべきで、目先の研究成果にとらわれてはならないと指導されていた。
素粒子物理学の研究等は巨額の研究費のみ発生し、果たして人類の繁栄に貢献出来るのか非常に疑問であり、実質的なCPIの値は、現在不明である。100年以上経過して初めて実質的なCPIの評価できる研究もあるのである。
Twitter上で、2019年元旦の「ニッポンのジレンマ」は屈指の話が浅い回だったと思うと批判されているのは、客観的に判断されるべきマクロな社会レベルのCPIと、主観的に判断されるべきミクロな個人レベルのCPIを混在させて議論したからであろう。
ミクロな個人レベルのCPIは個人の生き方や哲学の問題であり、個人の価値観によって、CPIが高くても、低くても構わないはずである。芸術家等の中にはCPIを気にしないで、作品を製作している人もいるはずです。
Twitter上で、2019年元旦の「ニッポンのジレンマ」は「なーんか対話にも議論にもなっていない番組構成。現場ではもうちょっと人間らしいやり取りをしていると思われるだけにちょっと残念」と批判されたのはマクロのCPIとミクロなCPIの混同もあろう。
佐々木先生は「普遍的な幸福とは、誰もが当たり前に考えるふつうの幸福ですよね。それよりも、自分の幸福のありかたを自分で見つけていくことのほうが大事ではないでしょうか」とご指導されている。
「CPI」と「幸福」とは異なる概念であり、混在させて議論することは許されないが、ミクロの意味のCPIはそれぞれの個人が、自分で見つけていくべきものである。
§4 意味のイノベーション
アリストテレスの「自然学」の第4巻、第3章で、「時間とは、より先とより後の区別に基づく運動である。時間は運動そのものではなく、数をもつ限りにおいての運動なのである」と言っている。アリストテレスの説明は「時間は物事の起こる様子を表すためにあり、空間は物体の場所を決めるためにある」ということである。
特許の世界では、東京高裁は方法の発明とは、「一定の目的に向けられた系列的に関連のある数個の行為又は現象によって成立するもので、経時的な要素を包含するもの」と判示している(放射線遮蔽方法事件:東京高裁昭32.5.21)。
式(1)のCPIの計算式はマネージメントやプロジェクトの分野で用いられる式であるが、商品のCPIには時間の要素はない。しかし、2019年元旦の「ニッポンのジレンマ」では、「意味のイノベーション」の話題があった。時間の経過とともに、商品や物の価値や意味が変わるということである。
1880年代の初期の頃において、トーマス・アルバ・エジソン(Thomas Alva Edison)の直流送電の発明は、ニコラ・テスラ(Nikola Tesla)の交流送電の発明に負けた。しかし、このコラムの第6回及び第22回で説明したとおり、現在の半導体電力変換装置の発達の背景下では直流送電は長距離送電に必須であり、人類のエネルギー問題の解決には直流送電は重要な技術となっている。
2018年4月15日には中国の「一帯一路」政策の要として、新疆ウイグル自治区から東へ甘粛省、寧夏、陝西省、河南省、安徽省を通る全長約3324kmに渡る1,100kV超高圧直流送電線が完成したとのことである。
現在、日本全国で総発電量の5%ほどが交流送電方式で失われていると言われている。2000年度の資源エネルギ庁の概算によれば、1年間に「100万kW級の原子力発電所6基分」の発電量に相当する約458.07億kWhを無駄に損失しているとのことである。
1880年代の初期の頃と現代では「直流送電」の意味や価値が変化し、CPIの値も異なるということである。
辨理士・技術コンサルタント(工学博士 IEEE Life member)鈴木壯兵衞でした。
そうべえ国際特許事務所は、日本の経済の繁栄に寄与できる発明等のご相談にも
積極的にお手伝いします。
http://www.soh-vehe.jp