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鈴木壯兵衞

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鈴木壯兵衞(すずきそうべえ) / 弁理士

そうべえ国際特許事務所

コラム

第32回 ドナルド・トランプと髙橋是清

2016年11月13日 公開 / 2016年11月22日更新

テーマ:特許制度の意味

コラムカテゴリ:法律関連

                MAKE AMERICA GREAT AGAIN

 2016年の米国大統領選挙に勝利したドナルド・トランプ氏は、「偉大なアメリカを取り戻す」というスローガンを商標登録して戦っていた。しかし、このスローガンは、1980年の米国大統領選挙におけるレーガン大統領が用いていた標語である。では、レーガン大統領が取り戻そうとした「偉大なアメリカ」は、いつの時代のアメリカを指すのであろうか。

§1 選挙スローガンを4年前に商標登録出願して戦ったトランプ

 2016年11月8日の米国大統領選挙では、一般投票の得票数では民主党のヒラリー・クリントン(Hillary Clinton)候補がやや上回っていたが、共和党のドナルド・ジョン・トランプ(Donald John Trump)氏が勝利した。このトランプ氏勝利の裏にはトランプ氏側の事業家としての経験を生かした計算された緻密な選挙戦略が存在していたものと思われる。
 
 米国大統領選挙の勝利の鍵となる激戦区のフロリダ(Florida)州、オハイオ(Ohio)州、アイオワ(Iowa)州、ノースカロライナ(North Carolina)州等を勝ち抜くための周到な工夫がされ、ツイッター(Twitter)も巧みに利用する、マーケティングの知恵が活用されていた。

 さらに、トランプ氏は選挙スローガン「偉大なアメリカを取り戻す(Make America great Again)」を、選挙の約4年前の2012年11月19日に米国特許商標局(USPTO)に「政治活動」を指定役務名として商標登録出願し、2015年7月14日に商標登録されている(米国商標登録第4773272号)。

 トランプ氏は1988年に慈善団体であるドナルド・J・トランプ財団(Donald J. Trump Foundation)を設立し、2010年頃から、救世軍、非営利団体や政治団体に資金を動かし始めていたようである。2011年に大統領選の共和党候補として名前が挙がったときは、トランプ氏は不出馬を決断している。しかし、トランプ氏が大統領選を勝ち取るための取り組みは、2012年の商標登録出願から分かるように、全く衰えることはなく、綿密に継続されていたのである。
 
 米国特許商標局(USPTO)の商標検索サイトには簡単にアクセスすることができるので、キーワード「偉大なアメリカを取り戻す(Make America great Again)」を英文で入力すれば、トランプ氏の商標がヒットするはずである。

https://www.uspto.gov/trademarks-application-process/search-trademark-database

 上記の米国商標登録第4773272号に加え、2015年8月13日に、自動車のバンパー・スッティッカー、広告、被服、Tシャツ等を指定商品とする別の区分にも「ドナルド・J・トランプを大統領にする会社(DONALD J. TRUMP FOR PRESIDENT, INC.)」から商標登録出願がされ、2016年8月16日に商標登録されている(米国商標登録第5020556号)。
 
 前述した米国商標登録第4773272号も「ドナルド・J・トランプを大統領にする会社」に移管されている。更に、トランプ氏は個人名で、2015年8月5日(商標登録出願番号第86716074号)、2015年8月13日(商標登録出願番号第86724213号)を出願しているが、この2件は2016年11月13日現在では審査継続中で未登録である。

 なお、上記のUSPTOの商標検索サイトで「イヴァンカ(Ivanka)」を検索すると、トランプ氏の長女であるイヴァンカ・マリー・トランプ(Ivanka Marie Trump)氏の商標登録出願が、彼女の名前に関係する商標だけでも49件(その内、登録商標が19件)ヒットする。ヒットしたこれらの商標の殆どは、トランプ氏の選挙スローガンを扱った特許弁護士により代理されている。

 よって、トランプ氏が選挙スローガンを商標登録して戦った選挙戦略の背景には、東大よりランクが上とされる名門ペンシルベニア大学のウォートン・スクールを主席で卒業したイヴァンカ氏のなんらかの寄与が推定できる。また、今後もイヴァンカ氏の発言力が強いような予感がする。

 留意すべきはトランプ氏の出願後に、表1に示すように、他人による類似の商標出願が、8件あることである。以下の8件のうち2015年9月22日に出願された商標登録出願番号第86765056号は消滅しているが、他の7件は2016年11月13日現在では審査継続中である。

【表1】

§2 トランプの選挙スローガンはレーガン大統領が使っていた:

 実は「Make America Great Again!(偉大なアメリカを取り戻す!)」というスローガンは、もとは共和党のロナルド・ウィルソン・レーガン(Ronald Wilson Reagan)第40代大統領が使っていたフレーズである。
 
 http://www.iagreetosee.com/portfolio/make-america-great-again/

 1980年の米国大統領選挙におけるレーガン候補は、ピンバッジやポスターに“Let’s Make America Great Again”を使っていた。なお、表1に示したように、2016年3月になって、”Let’s Make America Great Again”の標語が、 エバンス(Evans)さんという個人から商標出願されている。

 ヒューレット・パッカード社CEOジョン・ヤング(John Young)を委員長とする産業競争力委員会が1985年にレーガン大統領に提出したヤングレポートを契機として、レーガン大統領の1985年のプロ・パテント政策(以下の説明から分かるように、、レーガン大統領のプロ・パテント政策は「第2次プロ・パテント政策」といわれる。)が世界展開されたのである。
 
 ヤングレポートは、レーガン大統領に対し、以下の4本柱を勧告している。
    (a)技術開発促進
    (b)資本コスト改善
    (c)人的資源投資
    (d)通商政策重視

 この結果、工業所有権の保護・強化に向け、特許法など米国の制度改正が行われ、特許制度の運用では、均等論の幅広い適用や損害賠償額の見直し等の大幅な変更を含む第2次プロ・パテント政策が実行されたのである。

【図1】

 レーガン大統領は第2次プロ・パテント政策を推進して米国を偉大な特許大国にしたのであるが、レーガン大統領が取り戻そうとした「偉大なアメリカ」はいつの時代のアメリカであろうか。
 
 図1のWIPOのデータから分かるように、1970年代以降において、黄色の曲線で示した日本の特許出願件数が世界一の座を維持していた。レーガン大統領の第2次プロ・パテント政策の結果1985年以降、青色の曲線で示した米国の特許出願件数が急激に増えている。そして、2006年になり、米国の特許出願件数が日本の特許出願件数を抜き、我が国は、世界一の座から滑り落ちたのである。
 
 エイブラハム・リンカーン(Abraham Lincoln)が発明に関心があり、リンカーン自身も発明家であることは南北戦争(1861-1865年)当時知られていた。そこで一攫千金を狙う発明家がリンカーンに多数の新兵器を提案し、その中からリンカーンが選択した新兵器により北軍は有利に戦争を進めた。リンカーンの特許を保護・奨励するプロ・パテント(第1次プロ・パテント)戦略が北軍に勝利をもたらしたとも言われている。

 又、南北戦争が終わるとリンカーンは第1次プロ・パテント政策(1865~1930年)により全米の工業化を推進した。第1次プロ・パテント時代にはエジソンら発明家が活躍し、ロックフェラー、カーネギー等の財閥、企業連合や大企業が現れた。

 第1次プロ・パテント時代には米国の製造業は大いに活気づき、1860年までの米国の特許許可数は3万6000件であったが、その後の30年間には米国で44万件が許可されたとのことである。しかし、その後、1929年に世界恐慌が発生すると、世界恐慌の一因は大企業による市場の独占であるという分析を米国政府がして、米国は特許を抑制するアンチパテントの時代に入る。
 
 1936年にロビンソン・パットマン法(Robinson-Patman Act)が米国に制定され独占禁止法が強化されたのに続き、1940年代にはそれまで機能していなかった反トラスト法(独占禁止法)が本格的に運用されるようになる。この結果、原則として、大企業による市場の独占を認めないという時代になり、独占排他権を保護の柱とする特許制度に苦難な状況になっていく。

§3 何がアメリカを偉大ならしめたのか

 今から116年前の1900年の米国の雑誌には、「なぜ日本の国民が特許システムを持ちたいと望んでいるかを知りたい」との質問に対して、初代特許局長の高橋是清が以下のように答えたことが記載されている(アメリカ合衆国工業調査(U.S.Census on Manufacturing)、アメリカ合衆国商務省国勢調査局、第10巻、p.753, 1900年 )。

 即ち、高橋是清は、「1854年にペルリ提督が日本を開港させて以来、日本人は地球上の他の国のように大国になろうと努力してきた。そして何がその国を偉大ならしめたのかを探した。アメリカはコロンブスによって400年前に発見され、合衆国は建国100年も超えていない。何が合衆国をかくも偉大な国に創り上げただろうか。そして我々は調査し、その答えを見つけ出した。それは特許だ。我々は特許を持とうと決めた」と、回答したということである。
 
 髙橋是清は、レーガン大統領が取り戻そうとした「偉大なアメリカ」を1885年(明治18年)に専売特許所初代所長に就任するときには、既に気がついていたのである。レーガン大統領が1980年の米国大統領選挙において用いた“Let’s Make America Great Again”の「偉大なアメリカ」は、第1次プロ・パテント政策時代のアメリカを意図しているということになるのであろう。
 
 髙橋是清は初代特許局長を努めた後、以下の表2に示すように、7度も日本の大蔵大臣を務めている。「日本のケインズ」と呼ばれた髙橋是清もまた、「偉大な日本」を築くために特許制度によるプロパテント政策を促進したのである。

【表2】


 
 辨理士・技術コンサルタント(工学博士 IEEE Life member)鈴木壯兵衞でした。
   そうべえ国際特許事務所ホームページ http://www.soh-vehe.jp

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