第24回 東北帝国大学系の研究者を基軸として日本の科学技術が進歩した
1.宮沢賢治の農民芸術概論綱要
特許制度は創意工夫の動機付けとその維持、更には、創意工夫による産業の発達を継続させ、人類を幸せにするための制度である。
特許によるライセンス収入等を基礎として、東北大学とは独立の組織として1961年に設立された財団法人半導体研究振興会は2008年3月31日をもって解散した。この財団法人半導体研究振興会は、西沢潤一博士の特許によるライセンス収入等を研究員や事務職員の人件費をも含めたすべての研究費とする非営利の財団法人であった。
財務経営の面では東北大学とは全く独立な組織であったため、研究費を研究成果のみによって捻出する経営能力が求められる財団法人であった。1961年の設立当時はまだ「産学連携」の用語は用いられていなかったが、この財団法人は、大学の研究と産業界との橋渡しを目的とする産学連携の拠点であった。
財団法人半導体研究振興会の研究の拠点として、1963年に仙台市青葉区川内に研究棟として「半導体研究所」が建てられた。2008年の解散後の現在、半導体研究所は東北大学の「西澤記念資料室」となって、東北大学の川内キャンパスに残っている。
半導体研究所の玄関正面には宮沢賢治の「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という、宮沢賢治の弟の奥様がつくられた臈纈染めが額に入れられて掲示されていた。宮沢賢治の会の古い会員の元秋田大学教授の奥山先生が西沢潤一博士に寄贈されたものと聞く。
神奈川県平塚市の平塚市文化公園内には、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」と記載された球形の石碑がある。
宮沢賢治は、夢ロマンとしての愛に基づいて農学に志した。凶作の秋に、悲しい運命に弄ばれた農村の乙女達の涙が賢治に冷害に強い品種や栽培法を実現しようと決心させた。火山の噴煙の温室効果によって冷害を防ごうと考えてグスコーブドリの伝記を創作し、「銀河鉄道の夜」では川に落ちた友達を助けようとして死んだカンパネルラが登場する。
宮沢賢治の農民芸術概論綱要の一部を引用すると、以下のようである
おれたちはみな農民である ずゐぶん忙がしく仕事もつらい
もっと明るく生き生きと生活をする道を見付けたい
われらの古い師父たちの中にはさういふ人も応々あった
近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直観の一致に於て論じたい
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである
われらは世界のまことの幸福を索ねよう
求道すでに道である
2.マルサスの『人口論』とアンモニア合成の特許
20世紀初め、地球上の人口は10億人程度であったが、その後の100年間で地球上の人口は6~7倍に増えている.
マルサスは1798年に「人口の原理に関する一論(An Essay on the Principle of Population)」を著し、人口は幾何級数的に増加し、生活資料は算術級数的に増加するから、人口は常に生活資料の水準を越えて増加する。この結果必然的に不均衡が発生すると警笛を鳴らした。19世紀の技術で農業をした場合、40億人しか養えないとマルサスは予測していた。
しかし、現在、人類の生活資料は充足されている。これは、1908年のハーバーとボッシュのアンモニア合成の特許により農業技術の革命があったからである。
確かに栄養不良人口が8億人もおり、餓えや飢餓に苦しんでいる人も多数いるが、現在、世界の太りすぎ人口は16億人とも言われている。そのうち、肥満は4億人で、260万人が毎年、肥満が原因で死んでいるともいわれている。
正式なデータが公表されていないが、中国は1961年に3000万人が餓死したと推定されている。1972年に米国のニクソン大統領が戦後はじめて北京を訪問したとき、中国は、まず最初にハーバー・ボッシュ法の窒素生産工場を注文したと言われている。特許発明が人類の飢餓を救った一例である。
1961年の世界の穀物生産量は9億トンであったが、2007年の穀物生産量は24億トンであり、46年間で約15億トンの増産が可能になったのには、ハーバー・ボッシュの特許が大きな貢献をなしている。現在世界の農地面積の20%に相当する3億ヘクタールが休耕地になっていると言われている。
中国も現在では肥満に悩む人が増えている。2013年9月に米医師会誌(JAMA)に寄稿された論文によれば、中国の糖尿病患者が1億人を超え、糖尿病予備軍も5億人近くに達した可能性があるとのことである。
国連食糧農業機関(FAO)の試算によれば、全人類が「日本的生活」を享受しようとするなら、地球上で生きられる人間は61億人、「バングラディシュ的生活」なら109億人、「生存ギリギリの最低生活水準」なら150億人とされている。しかし、システム分析の専門家である川島博之氏によれば、FAOの公開しているデータの過信は危険であると警告している。
川島博之氏は、FAO等による深刻な食糧不足の危機説は、因果関係が逆で、特許発明等の人類の創意工夫による食糧の増産が可能になったからこそ、現在に至るまで人口が増加したのだということである(川島博之著『「作りすぎ」が日本の農業をダメにする』、日本経済新聞出版社)。
ハーバー・ボッシュ法の特許を基軸とした農業分野の技術革命によって、1950年頃から米や小麦、トウモロコシ等の穀類の単位面積あたりの収穫量が急増している。この収穫量の急増に伴い、1950年に25億人だった地球上の人口はその後、急激に増加して2011年には70億人になったのである。
3.ネアンデルタール人はなぜ絶滅したのか
DNAの系譜から、旧人(ネアンデルタール人)と新人(ホモ・サピエンス)は同じ祖先を有し、ほぼ同時期に生きていたとされているが、ネアンデルタール人はその後絶滅した。
高知工科大学総合研究所の赤澤先生を中心に、新人と旧人の交替劇を、生存戦略上の問題解決に成功した社会と失敗した社会として捉え、その相違をヒトの学習能力・学習行動という視点にたって調査研究が進められている。その研究では、両者の能力差によって生じた文化格差・社会格差が両者の命運を分けたとする作業仮説 (「学習仮説」)の検証が進められている。
注目すべきは、ネアンデルタール人は約30万年間同じ石器しか製造しなかったが、ホモ・サピエンスは創意工夫により種々の形状・大きさの石器を残しているということである。作業仮説 (「学習仮説」)によれば、人類の幸せには、創意工夫が必要であるということになるであろうか。
4.レオナルド・ダ・ビンチの鏡文字とベネツィア特許法
それでは、人類の幸せを実現する創意工夫の動機付けはどのようにしたらよいのであろうか。
中世においては、創意工夫の技術は“秘伝”であり秘匿するのが最善であった。レオナルド・ダ・ビンチ(1452-1519)は、膨大な創意工夫に関する研究ノートやメモを作っていたが、それらは、鏡文字等を用いて、厳重に管理され秘密にされていた。レオナルド・ダ・ビンチが存命中は、彼のした創意工夫の内容は、人の目に触れることはなかった
しかし、レオナルド・ダ・ビンチが秘密にした創意工夫の内容は、息子の時代に散逸してしまったとされている。
レオナルド・ダ・ビンチの住んでいたミラノのすぐ近くのベネツィアでは、1474年3月19日にベネツィア共和国発明者条例が制定された。この世界最初の特許法では、発明者がなした創意工夫に対し発明者に独占権(特許権)を与えるが、その代償として、発明の内容を世の中に公開させることで、他に知らしめ、これによって産業の発展を促し、人類の幸を実現するという近代特許制度の根本となる考え方が示されている。
ある発明者がなした創意工夫の内容を世の中に公開させることで、他に知らしめ、他の人が、更に創意工夫を加えて新たな発明を完成するという、手順を連続的に継続するという連鎖によって、人類の幸せが実現するというのが、近代特許制度の根本なのである。
ガリレオ・ガリレイは、フィレンツェからベネツィアに移り、1594年揚水機の特許権を取得している。ガリレオの1594年の手紙には以下のように記載されている:
「陛下よ、私の発明を、私と私から権利を得た人々の他は何人も40年間は使用することを許されないようにし、もしこれを犯す者には罰金に処し、私がその一部を受け取ることができますようにして頂きたいと存じます。そうしてくだされば、私は社会の福祉のために、もっと熱心に新しい発明に力を注ぎ、陛下に忠勤を励みます。」
5.特許の語源は公開
特許証のことを英語でletters patent という。この特許を意味する英語のpatentには「公開する」という意味がある。
patentはラテン語patēre「広く開いている」の現在分詞patēnsに由来しており(現在分詞語尾-ēns)、「公に通用する」等の意味を持つ語である(ランダムハウス英和大辞典(第2版)、プログレッシブ英和中辞典(第4版)等参照。)。 Webster第3版には、patentの説明として
Open to public inspection—used chiefly in the phrase letters patent; opposed to close
と記載されている。
14世紀のイギリスは欧州大陸に比し、工業が非常に遅れていたので、大陸技術者の入国を保護奨励し、工業を振興させるため、エドワード2世(在位1307-1327)は特許制度(Letters Patent:開いた証書)を導入した。通常の勅許状(letter)は、国王から誰かに宛てられる文書を意味していたが、特権の付与など「公に影響する事柄」について書かれた文書で、公への周知が必要なものは「公開・開封 (patent)」の語が付せられたのである。
但し、エリザベス1世の時代(1559-1603)からこの制度を悪用するものが現れ、既知の技術にまで特許を付与するようになり、ダーシー対アレン事件等の争いが発生し欠点が見えてきた。そこで、現存の成文の特許制度として存続する世界最古の特許制度として1624年のジェイムス1世による専売条例が制定されたのである。
このように、レオナルド・ダ・ビンチのように、創意工夫の内容を秘密にするのではなく、ある発明者がなした創意工夫の内容を世の中に公開させることで、他に知らしめ、他の人が、更に創意工夫を加えて新たな発明を完成するという連鎖によって人類の幸せを実現せんとするのが、特許制度の目的である。
6.エジソンは電球の25番目の発明者
エジソンはGE社を設立したが、そのGE社には「電球殿堂入り発明家名簿」がある。名簿の一番目は、1808年ハンフリー・デイヴィーのアーク灯である。エジソンが発明したとされる炭素繊維の白熱電球の実質的な発明者は、1878年の英国のジョゼフ・スワンとされている。エジソンが白熱電球の開発に着手したのは、スワンの発明の翌年の1879年でありスワンの前に、約20件程度の特許が既に多くの発明家により取得されていたのである。
エジソンはGE社の「電球年代記」の名簿の25番目に登場するのであり、決してエジソンが最初に電球を発明したのではない。
エジソンは、プリンストン大学数学専攻のフランシス・R・アプトンを主任化学助手兼数学者として採用し、最初の任務として、白熱灯の特許に関する内外のあらゆる文献を調査して、その情報を分析することを命じた。アプトンのメモには、過去数十年間の白熱灯に関するあらゆる文献に記載された現象や発明が分析されている。
このように、エジソンは、むやみやたらに、片っ端から実験したのではなく、創意工夫の内容を世の中に公開させるという特許制度の仕組みを利用して、発明をする前に先行技術調査をしているということに注意が必要である。
曲面印刷、GELなど世界的評価を受ける技術を開発・事業化した鈴木総業顧問の中西幹育氏は、「特許は全世界の智慧が表現されたものであり、すべての人に公開されている。したがって、特許資料は開発テーマの宝庫なのである。関連資料は『すべて』集めて、3回以上、つまり理解するまで読まなければならない」と述べている(『ビジネス創造の極意』(日刊工業新聞社))。公開を前提とする特許制度の所以である。
19世紀のアメリカでは、照明用の鯨油が必需品だった。19世紀後半において、太平洋に出ているアメリカの捕鯨船だけでも700隻近くあった。この頃、アメリカは照明用のエネルギー資源として世界一鯨を捕獲しており、鯨は枯渇し始めていた。エジソンの発明により「世界から夜が消えた」と言われているが、エジソンの発明は鯨の絶滅をも救う発明となったのである。
7.ウィリアムソンの機会主義の仮定
財やサービスは原則として対価を支払った者に限り便益を受けることができる。この対価を支払わずに便益を享受するものを「フリー・ライダー(ただ乗り)」という。
2009年ノーベル経済学賞を受賞したオリバー・E・ウィリアムソン(Oliver E. Williamson)は、人は情報を戦略的に操作したり、意図を偽って伝えたりすることなどにより、自分の利益を悪賢いやり方で追求しようとするとする「機会主義の仮定」を述べている。すべての経済主体は、モラルに制約されないで、悪徳的に行動し、狡猾さを伴う私利追求をする可能性があるという理論である。(O.E.ウィリアムソン著 浅沼萬里 岩崎晃訳『市場と企業組織』日本評論社 1980.11)
新規なアイデアや発明を対価を支払わずに、狡猾な他人にただ乗り(フリー・ライド)されたのでは、創意工夫をするモチベーションやインセンティブが低下する。学術論文においてもオリジナリティの尊重は最も重要な事項である。
ウィリアムソンの理論に従えば、特許出願や特許の権利維持に伴う費用は、経済学における「取引コスト」と考えることができる。人間が市場で知らない人々と取引する場合、相互に駆け引きが起こり、多大な取引上の無駄が発生することになる。この無駄を節約するために「取引コスト」としての特許制度が形成されたのである。
電球の発明の歴史をみれば、それぞれの創意工夫のレベルは小さなものでよいことに気がつくであろう。小さな工夫でも良いから、自分の創意工夫によって、次々と人類に襲って来る危機危険を切り抜ける手段に少しでも寄与しようとすることが我々に求められているのではなかろうか。
今の日本の社会には自己の周囲を包む社会に対する配慮がない。少しでもよいから、何らかの創意工夫により、自己周囲を包む社会に貢献しようとする努力がなければ、ネアンデルタール人のたどった道を行くことになるのではなかろうか。特許制度の本質を見直していただけたら幸いである。
辨理士・技術コンサルタント(工学博士 IEEE Life member)鈴木壯兵衞でした。
そうべえ国際特許事務所ホームページ http://www.soh-vehe.jp