『山月記』読解の最重要ポイントは?ここだけきっちり押さえましょう!
「夏が来れば思い出す・・・」ではじまる『夏の思い出』(中田喜直作曲、江間章子作詞)という、尾瀬を歌った佳曲は、ご存じの方が多いと思います。かつては音楽の教科書に必ずと言っていいほど載っていました。
私が尾瀬に行ったのは、成人して何年か経ってからでしたが、山上の別天地とも言うべき尾瀬のイメージを清らかに歌い上げた『夏の思い出』は、はるかなものへの憧れや大切な思い出を凝縮して、訪れたことのない者にも、清澄な感懐をひとしくもたらしてくれたと思います。
私自身の夏の思い出は、中学一年生の夏休みに、家族で栃木の塩原温泉に行ったことでした。当時は東北新幹線がまだ形を現してもいませんから(*)、東北本線の急行で西那須野駅まで行き、バスにゆられて、箒川のほとりの温泉宿をたずねたのです。
今まで記憶していることがいくつかありますが、特に印象深いのは、早朝父や兄、従兄弟たちとサンダルで渡ったせせらぎの、水の冷たさです。今考えれば、夏とはいえかなりの上流部ですから、水温が低いことに何の不思議もないのですが、はじめて体験する夏の清流の水の冷たさは、かるい衝撃とも言えるほどのものでした。
その夏の宿題だったか、二学期に入ってすぐの国語の授業の時だったか、記憶が定かではありませんが、自由作文で、私はこの塩原温泉行のことを書きました。紀行文らしいものを書いた、最初のことです。その時文章に書いていたからこそ、あの川の水の冷たさ、私の夏の思い出は、いつまでも鮮烈に記憶に残っていたのでしょう。
もうすぐ夏休み。子どもたちがそれぞれに、かけがえのない「夏の思い出」を残してくれるよう、願ってやみません。そしてできることなら、どんな形でも、そのことを文につづって、あとに残してほしいと思います。それはかならず、その子にとって得がたい成長の糧になるはずですから。
*形を現していない・・・ふつうは「姿を現していない」と表現するところですが、昭和50年(1975年)、開業を7年後に控えてのことですから、「姿を・・・」ではふさわしくないと考え、西那須野駅近辺にはまだ高架線などの構造物は見当たらなかったので、「形を・・・」と書いたものです。7年前なら、早い段階の工事で「姿を現している」部分は、随所にあったことでしょう。
国語力に定評がある文京区の総合学習塾教師
小田原漂情
文京区の総合学習塾・言問学舎