人と空間と音の風景
あけましておめでとうございます
本年もよろしくお願いいたします。
今年はどのような年になるのでしょうか。この10余年、実に多くの事が起こってきました。自然が怒り、私たちに注告しているのでしょうか。持続可能な社会のために、今まさに変化を求められている時代なのかも知れません。私たちも漢方医学の分野からこのSDGs(持続可能な開発目標)にむけて真剣に取り組んで行きたいと思っております。
さて、今回のお話は、「戦国武将から学ぶ健康法」です。
温故知新、混沌とした時代だからこそ昔に学ぶことが大切ではないかと思います。何もない時代だからこそ人は頭を使いとてつもないことを考えて来ました。漢方医学もそうです。今から約2000年前、人類は気候変動による病気の蔓延から人を救う為に、植物から薬を作る自然療法を見つけ出しました。それが今私たちが飲んでいる漢方薬なのです。
そして日本の戦国時代。多くの武将は生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされていました。真剣に生き残りを考え、戦いがない平和な世の中を夢見て大きな国を作り上げるために戦っていました。今回は、数回に分けて戦国の武将6人と1人の漢方医に注目して話をして進めていきます。
それでは、物語の始まりです。お楽しみに。
ある一人の漢方医・・・望月東庵(麒麟がくる)
戦国時代の代表的な武将と言えば、武田信玄、上杉謙信、毛利元就、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、伊達政宗でしょうか。その多くの武将の健康を陰で支えた漢方医をご存知でしょうか。NHKの大河ドラマ「麒麟がくる」に出てくる「すごろくの東庵先生」がその方です。もちろんドラマでは空想の人物ですが、この時代の漢方医「曲直瀬道三」と一致します。道三は、信長、秀吉、元就はもちろん、細川晴元、三好長慶、松永久秀、足利義輝そして正親町天皇の脈をとったとも言われます。また徳川家康公の薬作りにも道三の教示があったそうです。
曲直瀬道三の師匠、田代三喜(導道練師)は、当時の中国「明」に渡って金元医学(李朱医学)を学んできました。金元医学とは元号の金と元の時代の医学をさし、戦国医学とも言われます。三喜は時代に最も必要な医学を学んで来たのです。高麗人参を滋養強壮剤として有効に使ったのも三喜が始まりです。道三は師匠から名前二文字を頂きました。とても師匠を尊敬していたのでしょう。私も漢方と人生の師匠「田畑隆一郎先生」を尊敬しています。人間味のある素晴らしい方です。
道三の健康法はあまり知られていないのですが、88歳まで生きたことが何よりも健康の証です。道三の心が素晴らしかった。当時は上流階級のため医療を多くの武士や農民に施したと言われます。そして驚くことに、医療の平等主義を貫き通し、将軍を診る時も一庶民を診る時も診療行為は同じでした。また、治療を薬だけに頼らない全人的医療を実践していました。生活習慣やメンタルケアをも指導していたとも言われます。この時代にとっては驚くことです。あくまでも自分は不完全な凡人と謙遜し、決して威張る事は無かったと聞きます。まさに本物のプロフェッショナルでは無いでしょか。後に曲直瀬道三の子孫は繁栄していきます。自然に逆らわない生き方そのものが健康法であったのでしょう。
(参考文献:戦国武将の養生訓 山崎光夫著)
次回は、明智光秀と織田信長の健康法へつづく・・・。
東邦大学客員講師 薬剤師 鈴木寛彦