戦争を考える。ニューギニアに眠っている叔父の話。
戦争を止めようとしないしない人々
今停戦に応じることはロシアのプーチンの思うつぼだ。
だから停戦に応じることはできないと多くの評論家が言い、ニュースのコメンテーターも言う。
彼らの言葉を聞きながら、この人たちは「戦争をやめるな。もっと殺しあえ」と言っているように聞こえて仕方がない。
政治家の国際舞台での一番の仕事は、戦争を回避すること、戦争をやめること、ではないのか。
ロシアがウクライナに侵攻する理由はずっと前から積み上げられてきていた。多くの国際舞台の政治家はそれを黙って見てきた。あるいはそれを促進してきた。
何の脈略もなく戦争は始まらない。
ユダヤは戦争を止めない。
戦争の原因を積み上げてきた彼らは、相手の息の根を止めない限り我々の危機は終わらないんだと言ってハマスをせん滅するまで戦争は止めないと言い放つ。
ホロコーストを経験してきたユダヤ人にとってそれは当たり前の権利だ。そう言って、巻き込まれて多くの市民が、子供が殺されようと、それは仕方がない犠牲なんだと平然と言う。
今戦争を止めたらまた我々が危険な目に合うに違いない。だから戦争をやめるわけにはいかない。目の前にいる敵をすべて殺しつくすまで戦争は止められない。
本当に敵を殺しつくすことはできるのだろうか?
国際社会はいつまでこんなことを許しておくのか。
戦争の回避をしなかった政治家たちには、戦争を止めることは出来ないのだろう。
だから戦争は終わらない。
世界の人々は戦争が大きく広がってゆくのを眺めているしかないのか。
相手を蹂躙しなければ自らの欲望を満たすことが出来ないというような、きわめて原始的な人間の欲望に支配されるのではなく、全く別の価値観で世界を満たすことが出来なければ、この先人類には未来はないのではないか。
まず今の争いをやめること。それが第一歩だ。