佐世保 無窮洞 子供たちのシェルター
皆が集まれる時にと日曜日に草刈りに集まる。
そのあとで繰り上げで慰霊祭をやりましょうと。
地区の役員だけで集まっての慰霊祭は昨年から。
コロナの騒ぎで慰霊祭もままならない。
日本兵は水も満足に飲めなかったんだと数日前にF医師から聞いた。
だから水は飲むなと戦後の学校の体育の指導にも影響したんだと。
どんなにか末後の水が欲しかっただろう。
故郷の水をせめて慰霊祭にはたっぷりと手向けよう。
慰霊祭での水向けは、大きな木の桶にたっぷりと水を張り、
みんな一人ひとり榊の葉に水を含ませて祭壇に振りかけた。
このいい香りがきっとみんなに届くよと、
ぷーんといい香りお稲荷さんを山盛りにしてお供物です。
みんな大好きだったろう、故郷の家の味だよ。
おふくろさんの味だよ。
酒も地元の酒だよ。
夏の暑い日。
じりじりと強い日差しに焼かれて、
遠い異国で死んでいった人たちのことを思う。
「これがうちの親父だよ。
フィリピンで17年に死んだんだ。
遺骨は帰ってこなかった」
名前の刻まれた石の前に立って、隣にいた人が言った。
名前に正雪をかけた。
甘い匂いがした。