戦争を考える。ニューギニアに眠っている叔父の話。
命ドゥ宝 沖縄慰霊の日に寄せて 6月23日は慰霊の日
数年前に沖縄の戦跡をまわった。
日本で唯一地上戦が行われ県民の四分の一が死亡したとされる。
米軍との戦いに市民も男子学生も女子学生も巻き込まれ多くが凄惨な最期を迎えた。
国と国との戦争に国民はいやおうなく巻き込まれる。
ひとたび地上戦、市街戦になれば、当然市民が犠牲になる。
戦争にいくら反対していても、他国が攻め入ってきたらどうするのか。
領土を取ろうと攻め寄せてくる他国の軍隊に一般市民はどう対したらいいのか。
今、その問いかけが現実的になってしまい、みな戸惑っている。
戦うのは自由意志だ。
あくまで戦う覚悟のある者たちだけ残って戦え。そのほかの人間たちは逃げろ。
戦うことも逃げることも、本人の自由意思で決めればいい。
これって現実的?
ゼレンスキーは市民に戦うことを要求した。成年男子は国境から出ることを禁じられた。
市民は銃の撃ち方の訓練を受けた。国のために命を懸けて攻めてきたロシアと戦うことこそ愛国心の持ち主だと。立派だ、立派だともてはやされて。
このことに違和感を持つ人達も居るみたいで、そんな人たちのことも報道されることもあるが、大半は勇ましい愛国心にその声はかき消されしまう。大きな声で言えない雰囲気。
沖縄戦での教訓は、太平洋戦争での教訓は、「命ドゥ宝」だったはず。何よりも、尊い命を守ることこそ一番大切で、最優先に考えなくてはいけないことではなかったか。
ロシアのウクライナ侵攻でみんなの気持ちに変化が起こっているようだ。
「戦争をしない努力こそ」今こそしなければいけないことではないか。
市民を戦争に導いたプーチンは悪魔の申し子か。
戦争を回避できなかったゼレンスキーは徹底抗戦を叫び、西側に武器を要求し戦うことをやめようとしない。ゼレンスキーは英雄か?戦って死んでいるのは市民、若者たちだ。
ゼレンスキーもまた悪魔の申し子のように見えないか。
国土を広げようとするようなバカゲタ野心を、人間は克服できずにこれからも戦争をし続けるのだろうか。
戦争は起こってしまった。今しなければいけないことは、「戦争を止める努力」だ。
「命ドゥ宝」
戦争をしない努力がなにより大切だということを国際社会は知らなければいけない。
これ以上人を殺すな。