「ギャルリー・サン・チュベール」(ベルギー:ブリュッセル)
国立大学法人「東京農工大学科学博物館」の未整理資料から【教師イタリア人勧工寮伝習製糸器械絵図】が発見され、調査した結果、これらの図面が過去文献に掲載されていた「勧工寮葵町製糸場」の図版の原資料であることが確認されたといいます。
「富岡製糸場」(「フランス式」を採用)と同時期に作られ、製糸の工場制工業化の起点となった「イタリア式」工場のあり方を、初めて具体的に示した重要な史料だそうです。
明治初期に、西洋技術がいかに国内に普及していったか、当該図面資料を活用した近代産業技術の伝播過程の解明が今後期待されるところです。
「日本」に伝わった、ヨーロッパからの器械製糸の導入には、「前橋製糸場」(明治3年)をはじめとする「スイス」人「ミュラー」が指導した「イタリア」からの技術導入と、「富岡製糸場」(明治5年)に導入された「フランス」人「ブリュナ」による技術導入の2 通りがあるといいます。
「勧工寮葵町製糸場」(明治6年)においては「イタリア式」が採用され、「富岡製糸場」に次ぐ官営二番目の洋式製糸場で、資料が少なく、これまで詳細が明らかにされていませんでしたが、当該図面は、縮尺や寸法が記載され、綴状のものには煉瓦構造物が一段ごとに配置して記載されるなど、繰糸設備の全般が理解でき、寸法を元に再現が可能なほど詳細に記録されているそうです。
水車を動力とし、焚火利用の煮繭や繰湯加熱設備が備わっていますが、簡易な設備ではなく、工場として相応の施設規模を持つものであることが明らかになり、「富岡製糸場」と並んで製糸の工場制工業化の起点となった「イタリア式」工場のあり方を、初めて具体的に示した重要な史料のようです。
また、図面の作成者は、「小田県」(現在の岡山・広島県の一部)から技術伝習の目的で派遣された「海老原虎太郎」であると推定し、「東京」から地方に洋式技術が普及した過程を具体的に示す史料としての価値を持つ可能性が高いものと期待されています。
(讀賣新聞17.10.04 抜粋)