「伏見稲荷大社(京都)」と「すずめ」焼き
「東日本大震災」の遺構として扱いが注目されていた「宮城県南三陸町」の「防災対策庁舎」について、町は保存を断念する方針を固めたようです。近く佐藤仁町長が正式発表し、11月にも解体を始める模様です。
町の関係者によると
(1)国の支援がなく、財政面の手当てがつかない
(2)復旧工事に伴う土地のかさ上げで、庁舎の1階部分が周囲から見えなくなる
(3)かさ上げ後はくぼ地になるため、排水が難しい
などが保存断念の理由で、遺族や町民に解体を望む意見があったことにも配慮したようです。
町は、庁舎周辺で「震災復興祈念公園」の整備を計画中で、建物の鉄骨を使って記念碑を建立するなど何らかの形で庁舎の面影を伝える方策を検討するとのこと。
「防災対策庁舎」では、震災の津波で町職員ら42人が犠牲になり、これまでに遺族や町民が「早期解体」「解体の一時延期」「保存」の3件の陳情を提出、町議会は昨年9月、「早期解体」の陳情を採択していました。
骨組みだけが残った「庁舎」には震災後、亡くなった人々を悼み、津波の怖さを学ぶ人々が多数訪れていました。
(讀賣新聞:13.09.19)
タウ・プロジェクトマネジメンツ一級建築士事務所