大人ピアノ指導法:「テキスト・習慣」進歩の早い人・ゆるやかな人
ピアノを演奏するとき、私は中高年の皆さまに、できるだけ声を出しながら弾くこと
をおすすめしています。
実はこれには、脳の活性化だけでなく、表現力や心の健康にもつながる、大切な意味があるのです。
私たちの教室では、『第九』のような曲でも、最初からできるだけ声を出しながら取り組みます。
すると、ただ黙って弾くのとは、演奏の質も、教室の雰囲気も、まったく違ってくるのです。
子どものピアノ教室では、黙って弾いて、間違えたところだけ先生が「ここですね」と指摘する、という形になりがちです。もちろんそれも一つの方法です。
けれども、中高年のピアノでは、私はなるべく声を出したほうがよいと考えています。
その理由は、大きく分けて四つあります。
まず一つ目は、頭の整理ができることです。
声に出すことで、「次はここ」「このあとこう進む」という流れが、自分の中ではっきりしてきます。
ただ指を動かしているだけでは曖昧になりやすい部分も、言葉や音として口にすることで、頭の中が自然に整理されていくのです。
二つ目は、脳の活性化につながることです。
これまでもお伝えしてきましたが、口を動かし、手指を動かし、それを同時に行うというのは、脳にとってとてもよい刺激になります。
複数の働きを一度に使うことで、脳の広い範囲が活性化されるのです。
中高年の皆さまにとって、これは大きな意味を持ちます。
三つ目は、表現力が育つことです。
声を出しながら弾くと、ブレス、フレーズ、感情、強弱といった音楽の大切な要素が、自然と演奏に表れてきます。
歌うように音楽を感じることで、ただ音を並べるだけではない、いきいきとした演奏へと変わっていくのです。
これはとても有効なことだと、日々のレッスンで実感しています。
そして四つ目は、ストレス発散になることです。
この点は、実はとても大切です。
よく、女性は男性の約二倍話さないと満足しにくい、という話があります。
実際、日々の暮らしの中で「話したいけれど、話す内容がないんです」とおっしゃる方は少なくありません。
毎日同じ場所へ行き、買い物をして、ご家族のお世話をして、一日が終わる。
会う人もいつも同じ。
そうすると、意外と“自分のために声を出す時間”がないのです。
そんなとき、「ミ・ミ・ファ・ソ」と声を出しながら弾くことが、思いのほか心をほぐしてくれます。
何気ないおしゃべりが苦手な方でも、曲のために声を出すことなら、自然に取り組めます。
意味のない会話を無理にするのではなく、音楽のために、目的をもって声を出す。
それが、心の満足感につながり、結果としてストレスの発散にもなるのです。
ただ、現実にはこんなお声もあります。
「先生、弾くことだけでも大変で、歌うのはもっと難しいです」
本当によくわかります。
弾くことで精いっぱい、というお気持ちは自然なことです。
そんなとき私は、無理に「では歌いましょう」とは言いません。
代わりに、**「では、つぶやいてみましょうか」**とお伝えします。
“歌う”と言われると、姿勢を正して、しっかり声を出して、正しく歌わなければいけないように感じてしまいます。
でも、つぶやく程度であれば、心の負担がぐっと軽くなります。
そして、つぶやくことでも、十分に脳は活性化されるのです。
また、「私は音痴だから歌うのは苦手です」とおっしゃる方もいらっしゃいます。
中には、子どもの頃に何気なく言われた一言を、何十年も心の奥に抱え続けている方もおられます。
周りから見ればそんなことはないと思えても、ご本人にとっては長い年月をともにした深い思いです。
ですから、簡単にはほどけません。
そういう方には、私は**「では、喋ってみましょうか」**とお声がけします。
弾くのが難しくて歌えない方には、「つぶやいてみましょうか」。
音痴だから不安だという方には、「喋ってみましょうか」。
このように言葉を変えるだけで、ふっと心が軽くなり、安心して取り組めるようになるのです。
大切なのは、上手に歌うことではありません。
声を出しながら音楽に参加することです。
それが、頭を整理し、脳を活性化し、表現を豊かにし、そして心を解放してくれます。
中高年のピアノは、ただ正しく弾くためのものではありません。
弾いて、感じて、声を出して、心まで元気になる。
私は、そんな音楽の力を、これからも多くの方にお届けしていきたいと思っています。


