地方企業を活かす知財戦略…(1)
知財の本質は人の生き方に通じる?(小休止)
今まで「地方企業を生かす知財戦略」として、基本的な考え方を書いてみました。これからは、ヒット商品や知財の活用法など、より具体的な内容に触れたいと思っています。そこで、今回は、前半のまとめの意味も含め、知財について少し変わった角度から眺め、一息つきたいと思います。
知財の原点には「思考」が存在します。「思考」は人間が授かった最も大きな能力であり、正しい「思考」はプラスのエネルギ(伝搬する物理的エネルギ)を生みだし、正しくない「思考」はエネルギの無用な消費を伴うのみならず、マイナスのエネルギを生み出すと思っています。
このように「思考」はエネルギがかかわるため、人によっては面倒と感じるものかもしれません。この結果、他人のモノを真似るなどした方が、手っ取り早く、得だ、と考えてしまいます。しかし、「悩み」なども含めた「思考」を正しく働かせれば、その深さに応じて「良い方向」或いは「解決する方向」に導く性質も併せ持っていると思います。
ところで、最近、若い人の凶悪犯罪など、「思考」について考えさせられるニュースが増えています。「親しき仲にも礼儀あり」の教えのように、親しい関係になるほど感情が増幅されがちとなり、不満や恨み等のマイナス感情も必要以上に増幅されます。
もし、マイナス感情やそれに伴う悪しき行動が頭をよぎったなら、それは悪魔のささやきと思い、一旦立ち止まり、その行為の結果、「何が生じるだろうか」という「思考」を少しでも想い巡らせれば、自分が他人の人生に何らかの作用を及ぼせば、作用反作用の法則により、少なくとも同じ量の作用が同時に自分の人生に降りかかることも分かると思います。したがって、他人の人生を奪うことは、同時に自分の人生を終わらせてしまうとともに、更に、自分の周りの大切な人達の人生も終わらせてしまう、という事の重大さに気付けると思います。
しかし、凶悪犯罪などのニュースを耳にすると、この「思考」が置き去りにされている気がしてなりません。昔は(今でもそうだと思いますが)、「隠れて悪いことをしても、神様はちゃんと見ているよ」と、目に見えないものの大切さを教えられました。
今の時代、昔と比較にならないほど技術や通信が進歩し、人の意識も変化しています。つまり、「ごまかし」の効かない時代になっています。「誰も見ていなくても、良いことをすれば、神様はちゃんと見ているよ」の教えも同様に成立します。面倒くさいと思っても、プラスのエネルギを生み出す正しい「思考」は、必ずあるべき正しい方向に向かうと思っています。
話が横に逸れてしまったかもしれませんが、「思考」の成果物である「知財」の本質、つまり、「見えないもの」に対する考え方或いは捉え方は、生き方にも通じる奥の深いものを持っていると思っています。