【もしもシリーズ第4回】やさしすぎる人事は組織を救えるか? ~平 静葉CHROの場合~
はじめに
第1部では、令和8年10月に施行される同一労働同一賃金改正の概要と、労働条件明示の義務化など厳格化されるルールについて解説しました。雇用形態における「なんとなくの格差」が法的に許されなくなる時代が目前に迫っています。
第2部となる今回は、この法改正が企業の財務(キャッシュフロー)と労務(現場管理)に与える影響について考察します。
【財務の視点】人件費の直接的増加とキャッシュフローへの影響
今回の法改正への対応は、企業の利益構造を変えます。
影響その1:賃金・手当の見直しによる人件費の増加
同一労働同一賃金への対応で、最も大きな財務インパクトは「各種手当の適用拡大」と「賞与・基本給の是正」です。
ここで、従業員50名(うちパート・有期社員30名)の小売・サービス業をモデルに、手当支給と賞与の適正化を行った場合の資金負担をシミュレーションしてみます。
【試算例:従業員50名の小売・サービス業】
正社員:20名(平均年収450万円)
パート・有期社員:30名(平均年収180万円)
<改正対応で想定される年間人件費増加額>
通勤手当・食事手当等の新規支給:月2万円 × 30名 × 12ヶ月 = 720万円
賞与の支給(基本給の1ヶ月分を支給):30名 × 15万円 = 450万円
→年間人件費の増加:約1,170万円(非正規人件費が約22%増加)
影響その2:法定福利費(社会保険料)の増加
人件費(総報酬)が増加すれば、当然、企業が折半負担する社会保険料(健康保険・厚生年金・雇用保険等)も増えます。
社会保険料の事業主負担増:約175万円 / 年(上記1,170万円増加に伴う試算)
手当・賞与の増額と社会保険料を合わせると、年間で約1,345万円のキャッシュアウトが新たに発生します。売上高経常利益率が数%の企業にとっては、この資金をどこから捻出するのかは、経営の存続に関わる問題です。価格転嫁が難しい業種(介護、飲食、小売など)ほど、この影響を吸収できずに資金繰りを悪化させるリスクが高まります。
【労務の視点】労務管理の複雑化と現場の対応の限界
財務面の負担増もさることながら、人事・労務担当者の実務負担、法的リスクも増加します。
課題その1:就業規則・賃金規程の全面的な見直し
正社員用、パート用の就業規則・賃金規程を突き合わせ、各待遇の「職務内容」「配置変更範囲」に照らした合理性を検証しなければなりません。人事担当者がいない企業では、経営者や総務担当者が通常業務を抱えながらこれを行う必要があり、キャパシティオーバーを起こします。
課題その2:説明体制の構築と客観的な説明の裏付け
「相談窓口」の明示義務に伴い、現場に以下のような負担とリスクが発生します。
- 窓口担当者の選任と、待遇差を論理的に説明するための教育
- 説明を求めるパート社員の対応(「なぜ私の時給は正社員より低いのか」の客観的な回答)
課題その3:適切に説明出来ない場合の紛争・離職リスク
納得のいく説明ができない場合、社内の人間関係が悪化するだけでなく、労働局への駆け込みや民事訴訟に発展するリスク、さらには「ブラック企業」としてのSNS等での悪評、優秀な人材の離職・採用難という負のスパイラルを招きます。
課題その4:業務の「属人化」が招く説明の限界
最も厄介なのが、「業務の属人化と標準化の遅れ」です。
職務内容が明文化されておらず、正社員とパートの仕事の境界線が曖昧なまま「なんとなく」同じように働いている状態では、待遇差の「合理的な理由」を説明すること自体が不可能です。
まとめ
人件費の増加という「財務の負担」と、規則改定や合理的な説明という「労務の負荷」。
これらが同時に押し寄せるのが、今回の令和8年10月改正です。しかし、これを単なる「コスト増の脅威」と捉えるか、「組織変革のチャンス」と捉えるかで、企業の未来は変わります。
最終部の第3部では、企業が取り得る対策と国が用意している支援策について整理します。



