【第1部】2026年度税制改正で整理する「年収の壁」見直しの全体像
はじめに
2026年5月22日、厚生労働省が「毎月勤労統計調査 令和7年度分結果確報」を公表しました。
この統計は、日本の賃金や労働時間の動向を把握するための重要な指標であり、政府の経済政策の決定や日銀の金融政策変更の判断材料となるだけでなく、中小企業が「人事戦略」や「財務計画」を立案する上での羅針盤となります。
しかし、多くの経営者から「国の統計数字は自社とかけ離れていてピンとこない」「経営にどう活かせばいいか分からない」というお声をいただくのも事実です。人手不足が深刻化し、物価高騰が止まらない今、マクロ経済の潮流を読み解くことは、企業の生存戦略に直結します。
今回は3回にわたり、「現役銀行員」と「社会保険労務士」という2つの視点で深掘りし、中小企業が取るべき対策を整理します。
毎月勤労統計調査とは
毎月勤労統計調査は、厚生労働省が昭和26年から継続している「基幹統計」です。
日本の雇用、賃金、労働時間の3つの変動を毎月明らかにすることを目的としており、いわば経済の「人件費と労働環境の縮図」ともいえます。
まずは、その基本構造を見ていきます。
| 内容 | 詳細 |
|---|---|
| 調査対象 | 常用労働者5人以上の約33,000事業所を抽出(全国調査) |
| 調査産業 | 製造業、建設業、運輸業、卸売・小売業、医療・福祉、サービス業など、ほぼ全産業を網羅 |
| 主な調査項目 | 現金給与総額(所定内給与・賞与など)、労働時間(所定内・外)、常用雇用者数 |
(出典:厚生労働省「毎月勤労統計調査の概要」)
この統計は単なる「お役所の学術データ」ではありません。経営者が経営判断を行うための、客観的な判断根拠となります。
| 内容 | 判断基準のポイント |
|---|---|
| 市場賃金水準のベンチマーク | 自社の給与が世間水準や同業他社と比べてズレていないか(採用競争力の検証) |
| 人件費予算とキャッシュフローの予測 | 業界の伸び率をもとに、翌期の総人件費がどれだけ膨らむかを試算 |
| 労務管理の適正化とコンプライアンス | 他社の労働時間推移を、自社の過重労働対策や人員配置の適正化の目安に |
多くの経営者は「自社」だけで賃金を決めてしまいがちですが、官公庁の公表値という「物差し」を持つことで、客観的な経営戦略が可能になります。
令和7年度確報の主要トレンド
それでは、今回公表された令和7年度の主要な数値と、経済の状況を見ていきます。
1. 名目賃金と実質賃金のギャップ
令和7年度の調査(事業所規模5人以上)において、注目すべきは賃金の「名目」と「実質」の乖離です。
一人平均月間現金給与総額(名目賃金)は 357,979円(前年度比 2.5%増) と4年連続の増加となりました。
一見すると日本経済全体で力強い賃上げが進んでいるように見えます。しかし、賃金上昇を生活実感として感じているか、というとそうではありません。
| 指標(事業所規模5人以上) | 実績値 / 前年度比 | 経営、従業員への影響 |
|---|---|---|
| 名目賃金(現金給与総額) | 357,979円(+2.5%) | 企業の人件費負担(固定費)は確実に増加 |
| 消費者物価指数(持家の帰属家賃除く総合) | +3.0% | 食料品やエネルギーなど生活コストの大幅な上昇 |
| 実質賃金(購買力) | -0.5% | 給与は増えたが、物価高で生活はむしろ苦しくなっている |
企業側は利益を削り、資金繰りをやりくりして「2.5%」の賃上げ原資を捻出したにもかかわらず、従業員側の生活実感としては「物価高により生活実態は変わらない、むしろ厳しくなった」という“ねじれ”が生じています。
財務の視点で見れば「コストは増えた」、しかし労務の視点で見れば「従業員の満足度は上がっていない」という状態です。
このギャップを放置すると、従業員のモチベーション低下や、より条件の良い他社への離職を招くリスクが極めて高くなります。
2. 就業形態別・産業別の明暗(構造の二極化)
就業形態別に見ると、一般労働者(正社員等)の現金給与総額が 469,071円(+2.9%) であるのに対し、パートタイム労働者は 115,027円(+2.1%) となっています。
注目すべきは、パートタイム労働者の時間当たり給与が 1,407円(+3.7%) と、正社員の伸び率を大きく上回って急上昇している点です。これは最低賃金の大幅な引き上げと、現場における深刻な人手不足を反映しています。
産業別では、輸出や価格転嫁が進む「製造業」が +4.3% と堅調な伸びを見せる一方で、「運輸業・郵便業」が主要産業の中で唯一 ▲0.4% とマイナス となりました。
いわゆる「2024年問題」による時間外労働の上限規制強化が、現場の残業代減少という形でダイレクトに数字に表れた格好です。労働時間が減るという労務の適正化が進んだ半面、収入が減るという従業員の生活課題が浮き彫りになっています。
まとめ
第1部では、毎月勤労統計調査の概要と、マクロ動向における「名目賃金はプラスだが、実質賃金マイナス」の構造、そして産業や従業員の現状を確認しました。
ここから見えてくるのは、「ただ従来通りのビジネスモデルを続けていては、人件費の上昇圧力に耐えきれなくなる」 という中小企業が直面する厳しい現実です。従業員を繋ぎ止めるための賃上げは必須ですが、それを支える原資がなければ会社が倒産してしまいます。
第2部では、これらのデータを「中小企業の財務・労務へ与える具体的な課題」として深掘りします。



