「ほんのちょっと」から始めましょう
試行錯誤することの過程
自分の心や体に目を向け、意識していくと
ものの見方や感じ方、とらえ方が少しずつでも変わる。
自分の心や体は自分のものでありながら
ほんの一面しか見ず、感じていないことがほとんど。
自分自身でありながら知らないことの方がたくさんあると
私は思っている。
小さな領域の面のほんの一部しか感じられず、見えず
それにとらわれていると肝に銘じておいて間違いない。
そんな狭い視野でも
見ようとし、感じようとしているのといないのとでは違う。
同じ時間の初めと終わりでさえ
狭いなりの視野を精一杯開いてみると
全く違っている。
最初は箸にも棒にもかからない気がする感覚が
「あっ!これ!」
と感じられると、点でしかなかったものが
線になり、また違う角度が出来、角っこが出来る。
角っこがつながり、面ができる。
そのうちに立体になる。
踊りでも、最初は音さえとらえられないのが
踊りながら聞こえるようになり
「あっ!今はこれが意識できていなかった」
とやりなおしては、毎回意識できるようになる。
注意されていることが耳では聞きながら
自分の体に反応させられるようには聞こえなかったものが
明確に入ってくる。
意識できるようになると、大雑把にしか聞こえていなかった音が
改めてとらえられる。
自分にしか目が行かなかったのが
周りの様子も見えてくる。
1つの踊り、1つの体の使い方でも
繰り返しやっていくと、感覚が全く変わってくる。
こんなもの、と諦めると
それ以上は入って行かなくなるが
繰り返していくと、精度が変わり
自分自身で気づく度合いが増えてくる。
どれだけ冷静にものをとらえられるか、になってくるが
人は概ね冷静でいるつもりでも
ちょっとしたタイミングで、一瞬冷静さを失う。
踊っていても、ごく普通に練習していても
ほんの一瞬で冷静でなくなり、その時は自分がすることの目的を見失う。
体には冷静さを見失う反応が、如実に表れて恐ろしくなるほど。
冷静でいるには・・と言っても特効薬はない。
何度も繰り返す、
自分がとらわれやすいポイントを
意識しながら、何度も何度もやってみるしかない。
「この感覚!」と実感できることの精度をあげて
繰り返すうち、自分がとらわれていたことを
気付いたら手放している。
試行錯誤を繰り返すと言うことは
ただ何度もやるのでなく、自分の心の動きと体の動きをも
観察しつつ、見極めながら
さっきよりも良い状態にすることを試みていくこと。
ただの回数ではない。