不器用はハンデではない
「個人差」でなく「個人比」
同じ日に同じことを始めたとしても
スタート地点で、それぞれの個人差というものはある。
性別、年齢、経験、環境、動機・・
どんな年齢の、どんな経験を持った、どんな環境で暮らす
何のためにそれを始めるか
人様々、それぞれの事情で、なぜ始めるのかは当たり前に違うから
受け止め方、理解の仕方、習得の仕方に差があるのは当たり前のことだ。
それを気に病んだところで、良くなるものでもない。
自分がうまくいかない理由付けは、どうにでもつけられるが
上に上げたような条件が変わるわけではない。
変わらないものや変え辛いことを考えていても仕方がない。
体や気持ちは、自分次第で変えられる。
自分で変えていけることに自分のエネルギーを使う方が
前向きであり、そこからの経験や環境に与える変化もあるかも知れない。
先日、ある方の遠くに暮らす娘さんが
お友達に「うちの母はこんなことをしている」と話すと
「すごい!素晴らしいことをなさっているね」
と言ってくれて嬉しかったと連絡してくれたお話を聞いた。
この方はWSのアシスタントをして下さっている。
「私がしていることをそんなふうに思ってくれていたんだと思うと嬉しくて」
と、言われるのを聞くと、私も嬉しくなる。
この方の体も意識も
初めて、うちに来られた頃から思えば、別人のように変化されている。
いろんな失敗もしながら、その度変わって行かれる。
うまく行かない時、思うようにならない時に
あきらめずに時間をかけて、丁寧に整理して考え
克服して行かれる気持ちの持ち方が
この方の素敵なところだと思っている。
人との「個人差」でなく、自分の「個人比」を冷静に見て
自分でできることをされているから変化する。
自分ができることを少しずつやっていくのは
蟻のような歩みであっても、時間が立つと変わっている。
少しずつしか変わらないからやらないか
少しずつでも変わっていくならやってみるかでは
数年後には大きな「個人差」になる。
「個人比」を丁寧に検証して、できることをやっていくと
「個人差」を気にしているよりも、人を成長させる。
成長するのは子供や若い人だけではないのだ。