試行錯誤してつかんでいくこと
動きから生み出される次の展開
先週16日に東京芸術劇場で行われた現代舞踊公演を見に行ってきた。
もちろん折田 克子先生の作品を見たかったからである。
幕が開き、既に動き始めている片方にゴム草履、片方が素足の足元に
そよぐきれいなレモンイエローの衣装の裾が見えた時から
期待感で一杯になり
瞬きも惜しくなるほど、目が舞台にくぎ付けになる。
この感覚は何なんだろう?
見ている時は見ることに集中しているので
思いながらも、どういうことなのか、自分の頭の中の答えをみつけられなかったが
舞台を見終えて、食事して頭に足りなかった糖分が行きわたると
「そうか!」と納得した。
昨年秋ぐらいに、ちょこっと作った動きを克子先生が見て下さって
呼吸の間やエネルギーを出す強弱の付け方などを
治して下さった。
動きは同じであるのに、印象が変わっただけでなく
大きく変化したものがある。
治して下さったところの変化で、動きが全くとどまらないで
一旦止まって、次の動きを起こし直すのでなく
今の動きが次々、その次の動きに自然につながって行くのである。
エネルギーがとどまることなく送り出され続けると
体に促されて心が高揚していく。
心が高揚すると、体が更に滑らかに動き添えられていく。
まさにその在り様が舞台上で繰り広げられているのを
私は目撃しているのだ。
止まって見えても、エネルギーは必要な間を取っているだけで
お休みしている訳ではない。
舞台上に目には見えない、体から発せられるエネルギーが光線のように
細い光が、いつのまにか太い光の束になって、その先が客席に秒速で届き
絡め取られているように思える。
その光に見ているこちらの体まで踊らされている。
見ながらも、体の芯が動いている。
心まで高揚していく。
舞台で魅せると言うのは
こういうことなのだ。
演出も何もかも心踊るものだったが
エネルギーを発する人間の体ありき、なのだ。
形でなく、人間の肉体から湧き出て人に届く、目に見えない、
けれども確かにある強大な力の存在。
肉体の奏でる「杜の譜」が視覚と聴覚と皮膚感覚に感じられて
新たに自分がいきたい方向に、
強いエールが送り出された気がした。
見に行けて本当によかった。
終演後にロビーに出て来られた克子先生のお顔に光る汗が
美しかった。
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