なぜ「歯を食いしばる」だけで首や肩まで痛くなるのか——顎関節と筋膜の意外な関係
見えない「膜」が、体の印象を変えている
朝起きて体を伸ばしたときや、靴下を履こうとして前かがみになったとき、「あれ、前よりも体が硬いな」と感じたことはありませんか。更年期の前後の時期に、こうした感覚を口にする方は少なくないようです。関節が痛むわけでも、筋肉が張っているわけでもないのに、なんとなく体が思うように伸びない。この感覚の背景には、皮膚のすぐ下から筋肉のまわりまで全身を包んでいる「筋膜(ファッシア)」という膜状の組織の変化が関わっている可能性の一つとして考えられています。
コラーゲンには"性格の違う"種類がある
筋膜という言葉を聞くと、一枚の薄い膜のようなものを想像するかもしれませんが、実際には体中に張り巡らされたネットワークのような組織です。この筋膜を作っている材料の代表がコラーゲンというタンパク質です。実はコラーゲンにはいくつかの種類があり、性質が少しずつ違います。たとえばI型コラーゲンはしっかりとした強度を持つ一方でやや硬さのある性質、III型コラーゲンはよりしなやかで柔軟性のある性質を持つとされています。同じ「コラーゲン」でも、体の中でどちらが多いかによって、組織の触り心地や動きやすさの印象が変わってくると考えられています。
ホルモンが筋膜の"性格"を変えるという発見
近年の基礎研究では、興味深い報告がなされています。ヒトの筋膜から取り出した細胞を、女性ホルモンであるエストロゲンの濃度を変えて培養したところ、更年期にみられるような低いホルモン濃度の環境では、しっかりとした性質のI型コラーゲンの産生がやや増える傾向がみられました。反対に、排卵期や妊娠期のような高いホルモン濃度の環境では、I型が減りしなやかな性質のIII型が増える結果になったといいます(Fede et al., 2019)。この報告がそのまま体の中で同じように起こっていると断定することはできませんが、女性ホルモンの変化が筋膜の材料そのものの構成に影響を与えている可能性を示す手がかりの一つとして、注目されている知見です。
潤滑油としてのヒアルロン酸、そして「糖化」という視点
筋膜どうしがなめらかに動くためには、材料の質だけでなく「すべりやすさ」も重要な要素です。この滑走性を支えているのが、ヒアルロン酸という成分だと考えられています。ヒアルロン酸は水分を抱え込む性質があり、筋膜と筋膜の間で潤滑油のような役割を果たしているとされています。加齢に関する研究では、年齢を重ねるとともにこのヒアルロン酸の量が減少し、組織を包む部分にコラーゲンが厚く蓄積していくことが報告されています。さらに、加齢とともに体内で糖とタンパク質が結びつく「糖化」という現象が進み、コラーゲンの線維どうしを結びつける「架橋」が増えることで、しなやかさが失われやすくなるという報告もあります。パンや肉を焼くとこんがりと硬くなる現象に近いイメージで語られることもありますが、これは体の中でゆっくりと進む変化であり、決して急激なものではありません。
硬さの正体は一つではない ― 複数の要因が重なる視点
ここまで紹介してきたホルモンの変化、ヒアルロン酸の減少、糖化による架橋の蓄積は、いずれも「これさえあれば体の硬さが説明できる」という単一の答えではなく、いくつもの生理的な変化が重なり合って、体感としての硬さやこわばりにつながっている可能性がある、という捉え方が誠実だと考えられます。更年期前後に肩が動かしにくくなる、いわゆる五十肩のような症状を経験される方もいらっしゃいますが、これについても、ホルモンの変化に加えて、姿勢のクセや日常の動作パターンなど、複数の要因が絡み合って生じている可能性があり、原因を一つに絞り込むことは難しいというのが実際のところです。
体との付き合い方を、少しずつ見直してみる
こうした体の内側の変化は、自分の意思だけでコントロールできるものではありません。ただ、日常の中でどのように体を動かすかによって、動きやすさの実感が変わってくる側面もあると考えられています。腕を大きく回す、体幹をゆっくりとねじる、普段あまり使わない方向に体を伸ばすといった動きを、呼吸に合わせてゆっくり取り入れてみることは、筋膜どうしの滑走を促す一つのきっかけになるかもしれません。体の変化を「治すべき異常」としてではなく、年齢を重ねる中で誰にでも起こり得る自然な変化として捉え、無理のない範囲で体と対話していくような向き合い方が、長い目で見た体の動かしやすさにつながっていくのではないかと考えています。


