中程度の湯温の入浴で睡眠改善?
平安貴族もメタボ?
食欲の秋がやってきた。だが美酒美食にふけり運動不足が過ぎると、知らぬまにメタボリックシンドロームになりかねない。厚生労働省も、男性で腹囲が85センチ以上、女性で90センチ以上ある人たちが高血圧、脂質代謝異常、高血糖を合わせもつと、心筋梗塞や脳卒中などを発症しやすいと警告を発している。
平安時代の栄華を誇った藤原一族はメタボリックシンドロームの先駆けだったといえるかもしれない。『栄花物語』によると、右大臣で摂政・太政大臣となった藤原伊尹は煩渇多尿を主徴とする飲水病[消渇ともいい、現代の糖尿病に相当する]を患った。伊尹は容姿に優れ、歌道にも堪能だったが、派手好きで豪奢な暮らしに日を過ごし、美食にふけって49歳で亡くなった。伊尹亡きあと、権力の中枢にあった藤原道隆も、摂政・関白の位についた頃から連日のように水をがぶ飲みするようになり、飲水病を患い、43歳の働き盛りで病没した。
関白道隆の次男、藤原伊周も30代半ばから毎日のように水を飲みたがった。以前は肥えていたが、この頃よりご馳走は驚くほど沢山食べるのに痩せて細身になった。伊周は異例の早さで昇進したが、栄耀栄華のさなか、37歳で死去した。道隆の死因は当時流行した疫病(痘瘡)だったが、伊尹と伊周は栄養過多と運動不足、ストレスなどの生活習慣が組み合わさって発症した糖尿病により死去した疑いが強い。
道隆の弟の藤原道長も贅沢三昧のグルメぶりを発揮したあげく、糖尿病に陥った。『紫式部日記絵巻』に描かれた道長の姿はでっぷりと肥え、腹囲は優に1メートルを超える肥満体に見える。道長は51歳頃よりしきりに喉の渇きを訴え、連日、多量の水を飲んだ。53歳のとき娘3人を宮中に送り込み、わが世の春を謳歌したが、この頃には瘰痩が目立ち、体力も著しく低下した。藤原実資の『小右記』によると、53歳の道長は「汝の顔がよく見えぬ」と視力障害を訴えるさまが活写され、糖尿病の合併症である網膜症が進行したことを思わせる。万寿4年(1027年)秋、背中に大きな癰ができ、そのうちに敗血症をおこし、頻繁に下痢がおこる様になった。
同年12月に道長は62年の生涯を終えた。
*篠田達明先生(愛知県心身障害者コロニー名誉総長)のコラムを抜粋し、一部改変
メタボは現代病かと思っておりましたが、どうもそうではなかった様ですね。元々、欧米人と違いインスリン分泌の少ない日本人ですから栄養過多で肥満になると糖尿病を発症しやすくなるのは今も昔も同様の様です。