事態に対してどう臨むか?
ーーはじめにーー
不登校・ひきこもりの子どもから
暴言や暴力を受け、
親子の信頼関係が壊れてしまったと
悩む親御さんは少なくありません。
しかし、親子の絆は切れたのではなく、
ねじれているだけかもしれません。
その背景には、親が与えたい愛情と、
子どもが求める承認や期待の食い違いがあります。
親子の絆をねじれさせる原因を考えます。
目次
1.不登校・ひきこもりで親子の信頼関係が壊れた?――切れたのではなく、ねじれた絆
2.親の愛情が子どもには強制や支配に映る――親子の立場の違い
3.子どもの承認欲求と親の期待――「ありのままの自分」を信頼してほしい
4.「あなたのため」は本当に子どものため?――親の期待と子どもの個性
1.不登校・ひきこもりで親子の信頼関係が壊れた?――切れたのではなく、ねじれた絆
不登校やひきこもりの過程で、
親に対しての暴力や暴言があると、
「親子の間で信頼関係が無くなってしまっている」と、
悲嘆される親御さんも少なくありません。
親子の絆が切れてしまったということでしょう。
しかし実際は、多くの事例で、
切れてしまっていることはあまりありません。
ねじれているだけなのです。
もちろん、だからといって、
ねじれたままにしておくことは、
よくありませんので、
積極的に解していく必要はあります。
2.親の愛情が子どもには強制や支配に映る――親子の立場の違い
そもそも、どこから
この“ねじれ”が生じたかといいますと、
主に親と子の立場の違いから生じたものです。
一例を上げますと、
親からわが子へ愛情というボールを放ったとします。
親側からこのボールは、愛情としか見えていません。
しかし、受け取る側の子どもからすると、
侵入であったり、強制であったり、支配、
コントロールと映っている場合があるのです。
こういった場合は、
親が愛情をかければ、かけるほど、
子どもは負担に感じます。
親が気がつかない間に、
“ねじれ”が酷くなっていくのです。
養育する側(立場)の親と、養育される側の子どもでは、
その立場の違いから、
求めるもの、思惑がそれぞれ違ってきます。
販売側と消費者側の思惑が違うようにです。
3.子どもの承認欲求と親の期待――「ありのままの自分」を信頼してほしい
子どもたちが親に求めるものに
承認欲求というものがあります。
承認というのは、「期待」と「信頼」です。
自分に期待して欲しいし、信頼されたいということです。
こう言いますと、
「わが子ですから当たり前です。期待しています」
と言葉が返ってきます。
しかし、ここでも
“ねじれ”が生じる危うさがあるのです。
子どもたちが求めているのは、
ありのままの自分に期待して欲しい、
信頼して欲しいということです。
では、親御さんが言っている期待とは、
どう違うのでしょうか?
ここで、「期待」というものには、
二通りあることを述べてみます。
親でも計りがたい、わが子の可能性に対しての期待と、
「こうなって欲しい」
という親の自己都合に基づいた期待です。
「わが子に期待するのは、当たり前じゃないですか!」
という場合、
この自己都合に基づいた期待であることが
少なくないのです。
であれば、子どもが望む
「ありのままの自分に期待してほしい」
というものとは、違ってきています。
条件づき(親の都合)ではなく、
そのまま期待してほしいというのが子どもの願いです。
ここから、“ねじれ”が生じてしまうのです。
4.「あなたのため」は本当に子どものため?――親の期待と子どもの個性
「あなたのためを思ってのことだよ」と、
子どもに何かを促す時には、
本当にわが子のためと思ってのことかを
見直してみてください。
わが子のためではなく、
自分のためになってしまっている場合があります。
「この方が安心よ」と言いながら、
自分が安心したいからというのが
本音の場合があります。
私も学生のころから、父親が公務員だったこともあり、
「公務員になりなさい」と幾度となく言われていました。
私は、自分には到底向いていないと思い、
会社員生活を6年で辞め、こともあろうに自営業を始めました(笑)。
さぞかし、両親は心配で、不安でたまらなかったでしょう。
しかし、結果私は、苦労こそしてきましたが、
生きがいをもってやってこれました。
両親の望み通り、公務員になっていたら、
ストレスがたまって退職していたかもしれません。
子どもの個性にあった方向に、
進ませてあげた方がその子にとって幸せなんです。
たとえ、親の方は少々心配するようなことででもです。
5.親の都合によるコントロールと「関係の乱用」が子どもに与える影響
子どものありのまま、まるごとそのままを認め、
可能性に期待しようではないですか。
自分の思うように動かそう、変えようとすれば、
強制やコントロールしてしまうことになります。
このように、親の都合を優先させ、
子どもを利用することを“関係の乱用”と言います。
これは、心理的虐待につながります。
そうでなくても、
子どもは親の都合、思惑を顔色や言動から読み取り、
健気にそれに答えようとします。
なぜなら、愛されたいからです。
自分を抑えこんだり、押し殺してでも、
親が求めているものに答えてきた子たちが、
倒れてしまうのです。
6.親子の絆のねじれを解くために――子どもが求める「ここにいていい」という安心感
以上のように、親と子では立場が違う分、
互いの意志が正確に伝わらない場合があります。
ここから、絆のねじれ現象が起こるのです。
子どもたちが、たとえ拳を親に振り上げようとも、
絆が切れてしまっているわけではなく、
「気づいて欲しい」という一心で、
ねじれた絆を解したい一心で、
やっていることです。
もちろん、
暴力は決して容認されるものではありませんが、
その行為だけを問題にするのではなく、
そこに至った子どもの苦しみにも
目を向ける必要があります。
双方の安全の確保は当然必要です。
子どもたちは、ただただ安心していたいんです。
「ここにいていいんだ」と。
「わが家の場合は、どうすればいいのだろう」と感じたら
一般論を読んでも、
自分の家庭にどう当てはめればよいか
分からないことがあります。
まずは、
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