ひきこもりとトラウマ社会――傷を癒す支援から、命を活かす支援へ

中光雅紀

中光雅紀

テーマ:解決のための視点

ーーはじめにーー

不登校やひきこもりの子は、

深い心の傷、

つまりトラウマを抱えています。

だから休ませることは必要です。

しかし、

癒しだけでは自立には届きません。

大切なのは、傷を守るだけでなく、

その子の命と個性を活かす支援へ

進むことです。

傷ついた子どもたちは、怯えて立ちすくんでいる

不登校でも、ひきこもりでも、

当事者である青少年たちは、

心の傷、つまりトラウマを

抱えながら苦しんでいます。



何ものかに怯え、

身動きが取れなくなっている。

外から見れば、ただ動かないように

見えるかもしれません。

しかし内側では、

恐れ、不安、緊張、無力感

渦を巻いています。



ストレスへの抵抗力も弱くなり、

ほんの小さなアクシデントにも

背中を向けてしまう。

親がその姿を見れば、

こう思うのは当然です。



「傷を癒してあげたい」

「これ以上、苦しませたくない」

その思いは、間違いではありません。

むしろ、親として自然な情です。



ただし、ここで

一つ大切な視点があります。

癒すことと、自立させることは、

同じではないということです。

現代は、ストレス社会を超えたトラウマ社会である

日本では、毎年多くの方が

自ら命を絶っています。

近年は、2万人弱で推移していますが、

一方で小中高生の自殺者数が

過去最多を更新しています。

子どもへの虐待も、

年間22万件を超え、

深刻な社会問題となっています。



もはや現代は、

単なるストレス社会ではありません。

心の傷が社会全体に広がった、

トラウマ社会の様相を呈しています。



その反映なのでしょう。

癒しグッズ、リラクゼーションサロン、

心を休めるサービスは、

街にもネットにもあふれています。

それだけ、多くの人が疲れている。

それだけ、多くの人が傷ついている。



だから、

不登校やひきこもり支援においても、

「まず癒してあげる」

「安心できる場所を与える」

という考え方が強くなるのは、

ある意味で当然です。

けれど、当然であることと、

十分であることは違います。

「安心してひきこもれる環境」だけで、本当に社会へ戻れるのか

不登校、ひきこもり支援の現場では、

癒しを第一に考える姿勢が

多く見られます。



自由にできる空間を用意する。

無理をさせない。

安心して過ごせる場所を与える。

中には、

「安心してひきこもれる環境を

与えましょう」と語る人もいます。



もちろん、休ませる時期は必要です。

傷つき、疲れ果てた子に、

さらに負荷をかければ、

心は折れてしまいます。



しかし、問題はその先です。

痛みが和らいだら、

自動的に立てるのでしょうか。

安心できる部屋にいれば、

やがて社会へ

出ていけるのでしょうか。



残念ながら、

そう単純ではありません。

休むことは必要です。

しかし、休むことだけでは、

立つ力は育ちません。



自立には、

癒しとは別の力が必要です。

休養から修養へ――支援には切り替えの時期がある

ひきこもり支援で

見落としてはならないのは、

休養の時期と修養の時期は違う

ということです。



休養とは、

疲れた心と身体を休ませること。

修養とは、

生きていくための力

身につけることです。



痛みが強い時期には、

休ませることが必要です。

しかし、

いつまでも休養だけを続けていれば、

今度は社会に戻る力

育たなくなります。



青少年たちが帰っていく場所は、

自分が傷ついた社会です。

その社会には、誤解もあります。

失敗もあります。

人間関係の摩擦もあります。

思い通りにならない現実もあります。



保育室のような安全な環境で、

すべての負荷から遠ざけ続ける

だけでは、社会へ巣立ったとき、

再び傷ついてしまうかもしれません。

しかも、以前より深く

傷つくことさえあります。



だからこそ、

支援には切り替えが必要なのです。

休ませる支援から、

生きる力を育てる支援へ。

この転換を見失ってはなりません。

スパルタ支援は論外。しかし、甘やかしもまた支援ではない

ここで誤解してはいけません。

休ませるだけでは足りない

からといって、

厳しく追い込めばよいという

話ではありません。



過去には、監禁や暴力、

死亡事件にまで至った

スパルタ系の支援がありました。

そのような支援は論外です。

人を力で動かそうとする支援は、

支援ではありません。

それは支配です。



しかし一方で、

傷ついているからといって、

すべての負荷から遠ざけるだけでも、

本当の支援にはなりません。



人間は、どうしても極端に傾きます。

厳しすぎるか。

甘すぎるか。

押しつけるか。

見守るだけか。

だからこそ、中庸が大切なのです。



中庸とは、

どっちつかずの

中途半端ではありません。

その子の状態を見極め、

必要な時に休ませ、

必要な時に促すという、

もっとも難しく、

もっとも深い支援の姿勢です。

目的は「癒すこと」ではなく「自分の足で生きること」

「傷ついているから癒してあげよう」

この言葉は優しい。

しかし、そこに落とし穴があります。

癒すことが目的になってしまうのです。



本来の目的は、

癒すことそのものではありません。

本来の目的は、

わが子が自分の足で立ち、

自分の人生を生きていくことです。



ひきこもりの子どもたちは、

傷つき、元気を失っています。

ここでいう元気とは、

単なる明るさではありません。

生きていくための根源の気です。



朝起きる力。

人と関わる力。

失敗しても立て直す力。

自分にも価値があると思える力。

その根っこの気が弱っているのです。



だからこそ、

支援は「傷を守ること」だけで

終わってはいけません。

その子の内側にある生命力を、

もう一度活かしていく方向へ

向かわなければなりません。

活かされてこそ、癒される

元気を取り戻すために必要なのは、

ただ慰めることではありません。



その子の生命を活かすことです。

その子の個性を活かすことです。

その子にしかない役割を見つけ、

社会の中で使えるように

していくことです。



個性役割は、一人ひとり違います。

だからこそ価値があります。

誰かと同じになる必要はありません。

世間の標準に無理やり合わせる

必要もありません。



大切なのは、

自分の存在には意味がある

感じられることです。

自分の価値を認識し、

社会の中で自分を活かす術を

身につけることができれば、

傷の痛みは少しずつ和らいでいきます。



時には、

傷を受けていたことすら忘れるほど、

今を生きる力が戻ってくることもあります。

つまり、こういうことです。

人は、癒されたから活きる

のではありません。

活かされてこそ、癒されるのです。

観音の慈悲だけでなく、明王の力も必要になる

支援活動をしている人の中には、

過去に自分自身が傷ついた

経験を持つ人も少なくありません。

だからこそ、

傷ついた子に深く共感できる。

痛みを分かってあげられる。

それは尊いことです。



しかし、その分、

支援が「癒し」に偏ることもあります。

慈悲深く包み込む、

観音のような支援。

それは必要です。



しかし、

不登校やひきこもりの青少年たちは、

さまざまなトラウマに怯え、

立ちすくんでいます。



そのトラウマは、

本人にとっては魔障のようなものです。

前に進もうとすると、

心の奥から恐れが立ちはだかる。

社会に出ようとすると、

過去の痛みが足をすくう。

その時、ただ優しく包むだけでは、

前へ進めないことがあります。



必要なのは、共に立ち向かう力です。

怯えている本人の代わりに、

最初の一歩を支える力です。

時には、引っぱり上げる覚悟です。



観音の慈悲だけではなく、

忿怒(ふんぬ)の形相の明王のような

力強さも必要です。



それは怒鳴ることではありません。

追い詰めることでもありません。

恐れに呑まれている子の前に立ち、

「大丈夫だ。そこに負けるな」

と、共に踏み出す支援です。

親に求められるのは、優しさだけではない

ひきこもりの子をもつ

親に必要なのは、

優しさだけではありません。

もちろん、優しさは必要です。

安心も必要です。

休ませる時期も必要です。



けれど、それだけでは

足りない局面があります。

親は、

わが子の傷だけを見るのではなく、

わが子の生命力

見なければなりません。



「この子は傷ついている」

そこで止まるのではなく、

「この子には、

まだ活かされていない力がある」

そこまで見なければならないのです。



支援の目的は、

ひきこもりを安全に続けさせる

ことではありません。

傷を抱えながらでも、

自分の人生を取り戻していくことです。



癒しは大切です。

しかし、

癒しを目的にしてはいけません。

目的は、自立です。

自分の足で立ち、

自分の命を活かして生きることです。



まとめ

* 不登校やひきこもりの子は、心の傷やトラウマを抱えて苦しんでいる。
* 傷ついた子に休養や安心できる環境を与えることは必要。
* しかし、癒しだけでは自立する力は育たない。
* 支援には、休ませる「休養」から、生きる力を育てる「修養」への切り替えが必要。
* スパルタ系支援は論外だが、すべての負荷から遠ざけるだけでも不十分。
* 本来の目的は「癒すこと」ではなく、「自分の足で生きていくこと」。
* 人は癒されたから活きるのではなく、活かされてこそ癒される。
* 支援には、観音のような慈悲と、明王のように共に立ち向かう力の両方が必要。





わが子を守りたいと思う親心は、

尊いものです。

しかし、

守ることだけが愛ではありません。

今日、まず一つだけ

考えてみてください。

今のわが家の関わりは、

わが子を休ませているのか。

それとも、ひきこもりの日常を

固定してしまっているのか。

答えを急がなくて構いません。

ただ、その問いから

目をそらさないことです。

わが子の自立は、

親が「癒す支援」から「活かす支援」へ

視点を変えるところから始まります。

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中光雅紀
専門家

中光雅紀(不登校・ひきこもり支援者(家族心理教育コンサルタント))

NPO法人地球家族エコロジー協会

トラウマの視点からひきこもりの原因を見える化していくアプローチを行い、そのもがきのプロセスから人間としての成長を果たし、ひきこもりから脱却。新しい自分に生まれ変わるような変化をサポートしていきます。

中光雅紀プロは九州朝日放送が厳正なる審査をした登録専門家です

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