メンタルヘルス・ファーストエイド(MHFA)とは
先週から「障害者週間」として制定されている期間に入っています。
障害者週間とは何のためにあるのか、それによって何をすればいいのか、これから何が出来るのか、を個人的に考えてみました。
1.障害者週間とは
「障害者が社会、経済、文化その他あらゆる分野の活動に積極的に参加すること等を促進するため、国及び地方公共団体が民間団体等と連携して、「障害者週間」の期間を中心に障害者の自立及び社会参加の支援のための様々な取組を実施します。」
(内閣府:https://www8.cao.go.jp/shougai/kou-kei/r04shukan/main.html)
という定義です。
障害をもっていると、本人にその意思があったとしても、中々外へ出て他の人の中に入って一緒に活動することが出来ません。
どうしても何かしらの配慮が必要となりますし、それに対して本人が遠慮したり気が引けたり、または周囲が配慮を躊躇したりします。
更には「障害者は来るな」的な空気があったり、場合によっては明確な言動があったりします。「社会的障壁」です。
そうしたものがあってはならないのにある現実を踏まえ、特にこの期間については、国や自治体、企業が連携して、意識して社会的障壁を無くし、障害者の社会活動や参加を促進するよう取り組みましょう、ということですね。
2.私が考える「障害者週間」の意義
私は精神保健福祉士です。ですので、精神障害の方のみならず、社会的に弱い立場にある人達が社会から排除されている現実を変えていかなければいけない責任があります。
私のような立場の人は、そういう志と知識と倫理規定を持って活動しているので、特定の期間とか関係なく常にこうしたことを考えているべきです。ていうかそれが仕事ですし。
しかし、そうではない人達は違います。
色んな主義、主張、立場、経験があった上で、それぞれのお仕事をして生活しています。
差別はいけないこと、というのは大前提ですが、正論と現実は違います。
そして明らかに差別をしている人ではなくても、障害者と縁遠いために中々現実問題として捉えづらい人もいるでしょう。
そういう人達が四六時中障害者の社会参加について考えることを求めるのは非現実的です。それを押し付けるから反発が起きるとも言えます。
ただ、1年の内で数日、または1日、数時間でもいいので、普段は自分とは関係ないと思っている(本当は関係なくなんかないんですけど)人達のことを考える機会を得るのは、巡り巡って考える人にとっても役に立つ経験になります。
普段とは「違う視点」を体験することが出来るからです。
自分が無意識に抑え込んでいる不調や辛さに自覚的になれるからです。
もしもの時に頼れる制度があることを知って、気持ちが楽になれるからです。
3.専門家は通訳
資格取得のために勉強して、医療・福祉関連の法律や制度の数の多さに驚きました。
そしてしょっちゅう改定される。
更に、法理念と現実のギャップ。
法律が謳っていることはどれも正義なのですが、それがそのまま通用しない現実の難しさ。
じゃあ現実が全部間違っているのか、というと、そんな簡単な問題じゃない。
そのはざまで、一番苦しんでいるのが、法律が守ろうとしている障害者本人です。
こうした中で、専門家はどうあるべきか。
私は、通訳でありたいと思っています。
専門家は、当事者の事情と、それ以外の人の立場と、あるべき姿の3つを知っているからです。
その3つが融合して初めて、誰にとっても受け入れられる「障害者の社会参加」が実現すると私は考えます。
もちろん、障害者は少数派ですし意見の主張や意思確認が難しい人もいますので、どちらかというと障害者寄りの立場になるでしょう。
それでも、どれか一つの見解だけを推し進めるだけでは、社会参加は実現しません。
3つそれぞれを理解しているからこそ、通訳になれるのだと思います。
4.目指したいのは「お互い様」の世界
障害者は何も出来なくて、そうでない人は何でもできる…わけではありません。
障害者も出来ることはあるし、そうでない人も出来ないことはあります。
ですが、「障害者の出来ないことは、普通は出来て当たり前」のような考え方や、「そうでない人が出来ないことは、出来なくても仕方がない」という見方があるのが現実です。
なぜそこに違いが出来るのでしょうか。
障害者の「出来ること」に対して、価値が置かれないせいだと思います。
もっと言うと、賃金です。
障害者はお金を生み出さない、生み出したとしても少額、だから彼らが出来ることには価値がない、という論法です。
ただそれは、今の世の中の価値観が、お金をベースに動いているから、ではないでしょうか。
お金以外の価値がもっと評価される世界になれば、「お金を稼ぐ人」「そうじゃないものを生み出す人」と、色んな立場を選択できるようになるでしょう。
自分とは価値観が違う人同士が、パズルの凸凹を埋め合うように組み合わさることが出来れば、要らぬ衝突も穴もない、「お互い様」の世界が訪れるのでは、と、思います。