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第77回 我が国の凋落の原因は、西澤先生の指導原理(専門業者に任せるな。自分が専門家になり、従来の専門家を超えろ)の無配慮にある

鈴木壯兵衞

鈴木壯兵衞

テーマ:発明の仕方

 八木秀次先生→渡辺寧先生→西澤潤一先生の研究の系譜とその指導原理を忘れるならば、我が国は更に凋落の道をたどるであろう(このコラムの第18回「産学連携・産学協同によって研究を経営する」の§5参照。)。

 2022年11月に経済産業省が新会社Rapidus(株)に700億円の拠出を表明しましたが、Rapidus(株)が導入しようとしている2nm世代の微細寸法を狙ったオランダの露光装置であり、1台だけでも200~550億円もします。
 
 ここで、留意して頂きたいのは、西澤先生が、1980年代の初頭より、既に2nm世代の更に先の微細構造である、原子単位の寸法の半導体集積回路の研究を開始していたことです。1984年には縦方向に関しては実現し、次の目標は平面寸法の微細化にあったと推定できます。斯かる事情を鑑みますと、2022年11月の経済産業省の発表は、外国の後追い研究を推進しようとするものであり、極めて残念です。

 このコラム(第77回)の本文の図1に示しますように、西澤先生の研究範囲は物理学、化学、生物学に及びます。このような広範囲の研究ができた理由の一つとして西澤先生の「専門業者に任せるな」という指導原理を考慮する必要があると考えます。

§1 物理学、化学、生物学に渡る西澤先生の研究範囲

§1.1すべての分野でオールマイティであれ

 20世紀という科学技術が細分化され、発達した時代においても、以下の図1の研究システム図から分かりますように、西澤先生は物理学、化学、生物学に渡る広い分野の研究をしました。物理学としては、半導体や電子工学の分野だけでなく、以下の§1.5で説明しますような原子単位の精度で位置を測定し、制御する技術等の機械工学の分野も含みます。
 
 図1の研究システム図に示した化学の分野に示したギブスの法則の一般化の研究(§1.3)に加え、西澤先生は液体中の電気伝導の研究もしていました。しかし、液体中の電気伝導も半導体中の電気伝導と関係があり、分子、イオンや電子の量子力学的振る舞いに関係してきます。これらのことから、図1に示された物理学、化学、生物学に渡る広い視野の背景には、量子力学的背景があることが、理解できるかと思います。
 
 科学ジャーナリストの松尾義之氏が「なぜ、これだけたくさんのアイデアを生み出せたのですか?」と質問されたとき、西澤先生は即座に、「たぶんそれは、他の人より量子力学の本質をつかんでいたからでしょうね」と答えられています(松尾義之著、『対象と真摯に向き合う、そして畏れ、恐れず』、科学技術振興機構、産官学連携ジャーナル、2011年8月号、p.18―20)。
 
 第77回では、量子力学的背景の他の重要な要因として、「専門業者に任せるな。自分が専門家になれ」という指導原理があることを、述べます。 
【図1】西澤先生の研究システム

 西澤先生は「どんな分野であろうと、1年間必死に勉強すれば専門家になれる」と若い学生に指導していました。確かに西澤先生が欧米の権威の理論を否定したのは、西澤先生が半導体の研究を開始した僅か1年後でした。但し、西澤先生の指導原理における「勉強」は権威者の書いた本を読むことではなく、自分の頭で考え、実験で確認することです。
 
 西澤先生は「まずは一芸に秀でなさい」と指導していましたが、その一方で、「すべての分野でオールマイティであれ」という指導を受けた弟子もいます。西澤先生の「すべての分野でオールマイティであれ」は、「すべての分野でオールマイティな専門家であれ」と読み替えることができ、西澤先生の多様な分野の独創研究を説明するものです。
 

§1.2 西澤先生は、物理学賞と化学賞が受賞できた

 筆者は1964年, 2009年及び 2014年のノーベル物理学賞は、西澤先生に与えられるはずでしたと考えています。しかし、これらのノーベル物理学賞以外に、西澤先生はノーベル化学賞を受賞可能な業績も達成していたと筆者は考えています。
 
 ノーベル物理学賞とノーベル化学賞を両方受賞した唯一の人物はM.スクウォドフスカ=キュリー(Sk?odowska-Curie)です。キュリー夫人は、1903年にベクレルによって発見された放射現象に関する共同研究でノーベル物理学賞を、1911年にラジウムとポロニウムの発見およびラジウムの単離とその性質、化合物の研究による化学への貢献でノーベル化学賞を受賞しています。

 しかし、1903年のノーベル物理学賞と1911年のノーベル化学賞は相互に関係する研究対象であり、物理と化学の違いはありましたが、実質的な研究対象は狭いです。
 
 これに対し、筆者が西澤先生はノーベル化学賞の受賞対象と推定しているギブスの法則の一般化や化合物半導体の化学量論的組成の制御の研究は、1964年及び 2009年のノーベル物理学賞の受賞理由の内容とは、研究分野的には距離があります。

 2014年のノーベル物理学賞に関しては、原理面では距離がありますが、工業化という側面における窒化ガリウム(GaN)の結晶性に貢献する意味では、基礎となる研究です。

 西澤先生が発明した半導体レーザの構造を簡単にしたものがLEDです。半導体結晶のp-n接合を用いて光を発生する点では、半導体レーザとLEDとは原理的に同一の半導体素子です。p-n接合を用いて半導体結晶から光を発生するためには、半導体結晶の完全性が重要です。

 半導体結晶の完全性を追求する研究は、西澤先生が23歳の頃の1950年頃、黄鉄鉱(FeS2)の結晶の組成を調べたところから始まっています。
 【図2】ノーベル化学賞受賞に匹敵する化学量論的組成の制御の研究

 完全な黄鉄鉱の構造は、図2に示すように、鉄(Fe)1に対して硫黄(S)が2の割合のはずです。しかし、実際にはFe1に対してSが2.03~1.94の範囲でばらつき、電気的特性が変化することを西澤先生は実験で確認しました。Fe1に対してSが2の場合が化学量論的組成(ストイキオメトリ)です。Fe1に対してSが2.03~1.94の範囲でずれることを「化学量論的組成からずれる」といい、完全結晶の研究の原点になります。

 西澤先生が23歳の頃に見つけた完全結晶を追求する研究は、その後西澤先生のライフワークになっていきます。

§1.3 西澤の説はギブスの平衡法則に違反する:

 ガリウム燐(GaP)の場合も、ガリウム(Ga)1に対して燐(P)1でなければならないです。しかし、精密に測ると、実際の結晶では1:1からずれており、化学量論的組成からずれています。西澤先生は、化学量論的組成の制御されたⅢ―Ⅴ族間化合物半導体完全結晶を育成する「蒸気圧制御温度差液相成長法」という独自の結晶成長方法を提案しました。

 当時LEDの発光効率は非常に低く、西澤先生が学会でLEDの発光効率を30%にすると発表したら、「そんな馬鹿な」と笑われた事件がありました。LEDの発光効率を高まるためには、化合物半導体の結晶の完全性を高める必要がありました。
 
  「蒸気圧制御温度差液相成長法」は、化合物半導体の化学量論的組成を制御する方法です。低温の半導体基板の上に結晶成長の材料となる素材を溶かした高温の液体(液相)を、温度差を設けて接した状態において、高温の液体に化合物半導体の一方の元素の蒸気圧を加えると、飽和溶解度以上に化合物半導体の一方の元素が溶け込みます。

 蒸気圧を加えることにより、一方の元素の含有量が高くなるように化合物半導体の構造を制御できます。「蒸気圧制御温度差液相成長法」は、半導体基板上に成長する化合物半導体を構成している一方の元素と他方の元素の比率(化学量論的組成)を制御できる方法です。

 例えばガリウム燐(GaP)の半導体基板の上に結晶成長の材料となるガリウム(Ga)と燐(P)を溶かした高温の液体(液相)が温度差を設けて接した状態を考えてみます。この状態で、高温の液体の上からPの蒸気圧を加えると、Pが温度勾配に沿って密度拡散していくことにより、飽和溶解度以上にPを高温の液体中に溶け込ませることができる方法です。

 飽和溶解度以上に溶けこんだPにより、Pの含有量を高くするように化学量論的組成を制御でき、GaとPの比率を正確に1:1となるようにできることを西澤先生は実験的に示しました。

 この化学量論的組成の制御方法に対し、米国の理論学者J.W.ギブズ(Gibbs)が説く固相・液相・気相の平衡法則に反すると、当時多くの学者が考えました。つまり、ギブスの平衡法則によれば、或る温度における飽和溶解度は一定のはずです。
 
 飽和溶解度以上にPが溶け込むことは理論上ありえないということになりました。このため、結晶成長学会から猛反発をされ、投稿論文も査読の段階で続々と拒絶され続けました。

 実は固相・液相・気相の平衡を分子レベルで考えるとき、固相を構成している結晶の化学量論的組成のずれを考慮した化学エネルギの検討が必要になります。分子化学において、化学エネルギを検討すると、結晶を構成している一方の元素が飽和溶解度以上に溶け込む現象は、ギブスの平衡法則に違反しないということが分かります。西澤先生が提案する蒸気圧制御の方法がギブスの平衡法則の一般化であり、ギブスの平衡法則に違反しないということが理解されるまでに、18年という長い時間が必要でした。

 1971年の豊橋で開催された国際学会で猛反発を受けた18年後の1989年(平成元年)になって、やっと、結晶成長国際機構(IOCG)が、西澤先生の蒸気圧制御法を認めることになりました。西澤先生は1989年に創設された「ローディス賞(Laudise Prize)」の第1回受賞者になりました。ローディス賞は3年に1回授与される賞です。
 
 ギブスの平衡法則の一般化の研究の他にも、光化学や光触媒の研究があります。これら光化学や光触媒の研究は、西澤先生のライフワークである完全結晶の成長の研究に繋がるものですが、結晶表面における分子の量子力学的振る舞いに関係するものです。
 
 光のエネルギで、結晶表面における分子の運動を促進して結晶成長できるという光エピタキシ等の光触媒の研究は、ノーベル化学賞の受賞に値する研究です。 

§1.4 半導体集積回路とは、すべての技術の集積である:

 西澤先生は、「半導体集積回路とは、すべての技術の集積である」と言っていました。そして、半導体工学だけでなく、図1の研究システム図に示しましたように、化学や機械工学の博士号も弟子の中から誕生させる予定であると言っていました。科学技術が分業化、細分化、専門化された現代において、図1の研究システム図に示したような物理、化学、生物に渡る広い範囲を、一人の研究者の研究対象としたことは驚異です。

 15世紀後半から16世紀前半において、レオナルドは中世自由5科を機軸に、建築、解剖学、生理学、動植物学、天文学、気象学、地質学、地理学、光学、力学、土木工学等の異なる分野を研究しています。レオナルドの場合は、中世自由5科を介したシステム思考により、異なる分野のシナジー効果を用いていたと考えられます。レオナルドの研究対象の内、天文学、地理学、光学等は古代ギリシャの自由4科の学問です。

 図1の研究システム図が示す西澤先生の広い分野の研究は、分子、電子レベルの量子力学という数学を介したシステム思考であり、広い分野のシナジー効果が用いられていたことが分かります。

 三極管と呼ばれる真空管を発明したのは、米国のL.フォレスト(Forest)とオーストリアのR.リーベン(Lieben)です。三極管は、人類が量子力学的粒子である電子の動作を、真空中で制御することに挑んだ技術であります。フォレストは米国特許第879532号を1907年に出願していますが、発明は1906年のようです。

 リーベンはフォレストとは独立に、1906年にドイツ特許第179807C号を、出願しています。フォレストとリーベンよりも前の1902年に、ハンガリーのP.レーナルト(Lenard)が、三極管真空管のグリッド制御の原理を使用していたとされています。但し、E.R.J.A.シュレーディンガー(Schr?dinger)が量子力学の数学的取り扱いを示したのは、1925年頃からです。
 
 このコラムでは、第62回等において1950年代に西澤先生は、モット理論やショットキィ理論、バーディーン理論との争いをしたことを説明しましたが、これらの欧米の権威者との争いは、固体中の電子の動作を制御する技術の先駆となるものでした。そして、西澤先生は欧米の研究者よりも正しく固体中の電子の動作を理解していたと言えます。

§1.5 量子機械工学としての超精密位置制御:

 ハイゼンベルクが1927年に提唱した量子力学における不確定性原理に対し、東北大学(現名古屋大学)の小澤正直教授は、2003年に不確定性原は間違っていることを示す「小澤の不等式」を発表しています(M. Ozawa, "Universally valid reformulation of the Heisenberg uncertainty principle on noise and disturbance in measurement", Phys Rev. A67, 042105, (2003))。
 
 図1の研究システム図に示しました量子機械工学の分野の研究の代表として、西澤先生の精密位置制御の研究に注目する必要があります(特許第781849号、第842136号、第968333号、第1024604号、第1139269号、第1258705号等)。特許第781849号の出願は、昭和44年(1969年)です。

 特許第781849号に記載された技術は、磁気浮上でX-Y移動機構の摩擦を無くし、機械工学の常識を破る1/10000mm以下の超微細な位置移動の制御を可能にしました。「小澤の不等式」の実験での証明できなかった理由は、位置を直接精密に制御し測定することが難しかったからです。
 
 ウィーン工科大学の長谷川祐司准教授らは、他の物理量で実験できないか考え、スピンのプランク定数やデルタ(変動)量を測定して、「小澤の不等式」を実験的に証明しました(J. Erhart et al., Experimental demonstration of a universally valid error-disturbance uncertainty relation in spin measurements", Nature Physics 8,?p.185?189, (2012))。しかし、西澤先生の精密位置制御の技術を用いれば、不確定性原理の直接的検証が可能になると思われます。

 特許第781849号に記載された精密位置制御の手法は、半導体集積回路の微細なパターンを描画する「パターンジェネレータ」として、1974年に国際電気(株)(現(株)日立国際電気)によって実現されました。国際電気(株)のパターンジェネレータは(財)半導体研究振興会・半導体研究所(以下「(財)半導体研究所」と略記します。)におけるSIT論理回路等の半導体集積回路の微細パターンの製造プロセスで採用されました。

 更に、1979年には日本精工(株)が、西澤先生の精密位置制御を用いた半導体製造装置向け高精度XYテーブルを製品化しております。更に1984年には、逐次移動式縮小露光(ステップ・アンド・リピート)機能や直接描画機能等を有する多目的露光装置を日本精工(株)が製品化しています。この多目的露光装置も(財)半導体研究所における半導体集積回路の微細パターンの製造プロセスで採用されました。
 
 半導体集積回路の微細パターンの製造工程においては、各工程で描画された微細なパターンを互いに高精度に位置合わせして次の工程に進める必要があります。即ち、半導体集積回路の微細パターンの実現には、単に微細なパターンが描画や露光ができるだけでなく、多数の微細なマスクパターン同士が、それぞれ互いに高精度に位置合わせされる「合わせ精度」が極めて重要です。西澤先生の精密位置制御は2nmの世代以降において極めて重要な技術であります。
 
 1984年に分子層エピタキシ(MLE)により、西澤先生は深さ方向を原子の寸法レベルで制御する技術に成功しました(特許第20139430号、特許第2020510号~特許第2050514号、特許第2090068号、特許第256673310号、特許第2577542号等)。
 
 深さ方向の原子のレベルの制御に成功した西澤先生の次のターゲットは、平面寸法を原子レベルで制御した半導体集積回路の製造技術にあったと筆者は推定しています。西澤先生は、1990年代の後半には、原子レベルの寸法の平面パターンを実現するための検討を開始していたのではないか、というのが筆者の偏見であります。
 

§1.6 テラヘルツの電磁波と分子生物学:

 図1の研究システム図に示したように、2004年頃より、西澤先生は遺伝子組み換えやDNA配列の制御や癌の治療等の量子医療、ウィルスの撃退に関する研究にも着手しました(特許第4272111号)。ウィルスの撃退についてはこのコラムの第66回や第70回等で説明しました。
 
 特許第4272111号に記載の発明は、ラマンレーザという半導体装置による光と電波の谷間の電磁波(テラヘルツ波)を、細胞やDNAの分子運動に適用する応用研究です。ウィルスは生物とは言えませんが、ウィルスと人間の細胞との結合(ドッキング)の説明に用いられている「親和力」は量子力学で説明できるはずです。
 
 図1から分かりますように、西澤先生の独創研究の3つの流れである分子物理学、分子化学及び分子生物学は、それぞれ量子力学という共通の数学を介して互いに連携しております。

§1.7 量子力学で考えろ:

 筆者は理想型SITという分子レベルの寸法を有した超微細構造のトランジスタの研究で「古典論での設計は間違っている。量子力学で設計しろ!」と、西澤先生から雷を落とされた経験があります。西澤先生は常に半導体中の電子の動きを量子力学まで含めて考慮していたのです(例えば、西澤潤一著,『科学時代の発想法』,講談社,p.168参照。))。したがって、1957年の半導体レーザの発明は偶然ではないのです。
 
 理想型SIT以外にも1958年に 西澤先生の発明した「タンネット(TUNNETT)ダイオード」というトンネル効果を用いて電子を注入するテラヘルツ素子も、量子力学で設計する必要があります。現在市場に出ている多くの半導体装置や半導体集積回路では、電子が結晶格子に衝突して輸送される寸法を有しているため、量子力学はマスクされてしまいます。
 
 しかし、図1に記載を省略した他のテラヘルツ素子があり、種々のテラヘルツ素子は量子力学での設計が求められます。今後の微細化の進む半導体集積回路は、次第に量子力学で設計する必要がある領域に入って行きますが、西澤先生は既に1980年代において、このことを指摘されていたのです。
 
 西澤先生のラマンレーザは、量子力学的効果をマスクしている半導体結晶の格子振動に着目した発明です。ラマンレーザの効率を向上させることは、西澤先生のライフワークである完全結晶の研究に繋がります。
 
 ラマンレーザは1次光源が必要ですが、西澤先生は1次光源を用いないで、直流励起でテラヘルツ波を発生することも考えておりました。電子と結晶格子の量子力学的相互作用を考えていたのです。現在未完の直流励起によるテラヘルツ波の発生には更なる完全結晶の研究が必要になります。

§1.8 孔子の「視・観・察」:

 図1に示す広範囲の西澤先生の研究対象は、すべて、西澤先生の機軸としていました完全結晶の研究と相互に連関するものであり、超多次元空間のジャングルジムの内部での量子力学という数学を介したシナジー効果のある研究の企画です。

 例えば水は、圧力及び温度という形態化のパラメータにより、図3に示しますように、氷(固体)、水(液体)及び水蒸気(気体)という3つの形態になります。私達は3つの形態を観測することになります。一見複雑な3つの形態の物理現象は、H2Oという分子構造から捉えれば、同一性を有した単純化された視点に集約されます。 
 【図3】
 
 『論語』の巻第一為政第二には「子曰(しのたま)わく、其の以す(なす)所を視、其の由る所を観、其の安んずる所を察すれば、人焉(いずく)んぞ痩(かく)さんや、人焉んぞ痩さんや」とあります。孔子は人物観察法として「視・観・察」を説明しました。「視」は、その人の見た目や行動を見る、「観」は、その人の動機を見る、「察」は、その人が何に喜び、何に満足しているかを見る、というものです。
 
 氷、水及び水蒸気の3つの形態をそれぞれ捉えるのが、孔子の「視」であり、H2Oという分子構造に着目するのが孔子の「観」及び「察」になるのだと思います。西澤先生は常に分子レベルの視点から自然現象を捉える思考をしていたと思われます。

 西澤先生は「自分の頭の中にジャングルジムを構築しなさい」と、研究者を指導しました。単に記憶する情報量を増やすだけではだめで、自分の頭の中に構築した多次元のジャングルジムの論理体系において、どのような視座、視点、目の方向から見ても論理的に矛盾のない思考をしなさいと指導しました。
 
 超多次元のジャングルジムの機軸となるのが、分子が規則正しく配列された完全結晶の研究であり、この完全結晶の研究を機軸とする研究システムの根本には、図1に示した量子力学と更にその背景に数学があるのではないかと考えます。

 図1と図3を重ね合わせますと、一見して異なる分野と思われる物理学、化学、生物学は、量子力学的状態である分子レベルの視点の仮の姿(形態)になるかと思われます。

§2 ノーベル賞よりも自作実験装置の部品の費用を優先:

 半導体レーザの発明を米国に特許出願しておれば、ノーベル賞の受賞ができたはずです。そのため、筆者は、「なぜ米国に特許出願しなかったのですか」と迂闊にも西澤先生に聞いてしまい、「俺を舐めているのか」と叱られた経験があります。

 西澤先生が助教授時代において、渡辺教授は「研究室には金はやらん。やると仕事をしなくなる」という指導原理で、実験装置の費用を出してくれなかったそうです(例えば、西澤潤一著,『西澤潤一の独創開発論』、工業調査会、p.75、(1986年)、或いは西澤潤一著,『科学時代の発想法』、講談社、p.80、(1985年)等参照。)。
 
 渡辺教授の指導原理によれば、外国特許出願の費用を捻出することなど無理な事情でした。そうした状況の中で西澤先生が苦労して、独自な設計思想により、揃えた実験装置のいくつかを、このコラムの第63回の図4等に示しました。
 https://mbp-japan.com/aomori/soh-vehe/column/5043101/
 
 第76回で説明しましたように、米国のベル研究所のプファン(Pfann)らによるSiのフローティングゾーン法の米国特許(USP2875108号)は1957年の出願です。西澤先生が成果を出すのには予算の関係で遅れてしまいましたが、「本邦初のフローティングゾーン炉」どころか、開始時期の1953年で比較すれば、Siのフローティングゾーン法に関し、西澤先生は世界でも先端にいたと考えることはできます。
 
 外国特許出願の費用よりも、高周波発信器の部品を捻出することの方が重要でした。このように西澤先生が苦労されて、自作した結晶成長装置が、東北大学電気通信研究所の旧西澤研究室に現在も保存されています。
 
 東北大学電気通信研究所の旧西澤研究室に保存されている装置に対し、西澤先生は、「ノーベル賞を受賞したら公開したい」と言っていました。そのとき、「半導体レーザの研究だけに集中し、Siの結晶成長の方は後回しにすれば、1964年のノーベル物理学賞は受賞出来たかもしれない」と言うつもりであったのでしょうか。
 
 東北大学電気通信研究所の旧西澤研究室に現在も保存されている装置には、このようなノーベル賞受賞を犠牲にした資金的な背景を十分に考慮する必要があります。
 
 但し、西澤先生は外国特許出願を軽んじていたのではありません。西澤先生は以下のように全516件の外国出願をされています:
 
 米国229   カナダ   16     ベルギー 2
 ドイツ90   スイス   5     中国  6
 英国74    スウェーデン6     台湾  2
 フランス57  ソ連    1     韓国  5
 オランダ19  イタリア  2     フィリピン2
 
  特に、SITの基本特許を米国特許庁が誤訳を理由に拒絶したとき、当時6000万円もの大金が必要と見積もられましたが、連邦巡回控訴裁判所 (CAFC)での裁判を行い、最終的に権利化しています。

 大企業であってもロシアを市場とする企業で無い限り、ロシアに特許出願することはまれです。しかし、上記のように、西澤先生はソ連(現ロシア)に1件の特許出願をしています。この1件の特許出願は、磁気浮上による精密位置制御に関する特許で、如何に西澤先生が量子機械工学の分野を重要視していたのかが分かります。西澤先生は1988年にロシア科学アカデミー外国人会員に選出されています。

§3 こんな手作りの装置で世界最高純度の結晶が成長できるのか

§3.1 実験装置から独創技術でなくてはならない:

 西澤先生は欧米の真似をするのを嫌いました。§2では、独自にSiの結晶を成長させることを探求していたことを説明しました。23歳のとき、現在の半導体集積回路の主要製造技術になっているイオン注入方法(特許第229685号)を西澤先生は発明しています。
 
 「独創は闘いにあり」のなかで「もし立派な機器・装置が簡単に手に入っていたとしたら、プロセス抜きに完成品ができあがってしまい、実は作り上げる過程にひそんでいる重要なカギなりポイントとなる技術(または方法)に、気がつかないままに終わっていたかも知れない」と、西澤先生は述べています(西澤潤一著,『独創は闘いにあり』,プレジデント社,p.103~106,(1986年))。
 
 西澤先生は、「独創研究をするためには実験装置から独創技術でなくてはならない」と、常に言われていました。

 仙台リサーチセンターを拠点として西澤先生をプロジェクトリーダとする総予算約95.5億円の通信・放送機構による国家プロジェクトが1996年に開始されたとき、西澤先生の弟子の一人である甲教授がサブリーダの一人に任じられました。甲教授は西澤先生の意に反して5インチのSi半導体製造ラインをプロジェクトの研究装置として導入したため、西澤先生は「俺の初年度予算の内の80億円を甲教授が勝手に使った」と激怒しました。
 
 筆者は、西澤先生が激怒したのは、このとき西澤先生が特許第781849号に記載された技術を使っては、原子単位の平面寸法の半導体集積回路の研究をする予定ではなかったのか、と思っています。

§3.2 ノウハウとしての世界最高純度の結晶成長技術:

 筆者が西澤先生に直接指導を受けた1972年~1991年の間には、多数の企業からの研究生が、(財)半導体研究所のノウハウ技術の習得のために研修に来ていました。
【図4】(財)半導体研究所の手作りの装置の一例

 それらの研究生が疑問に思ったのは、なんでこんなチャチな手作りの装置で世界最高純度の半導体結晶が成長でき、西澤先生が完全結晶成長技術を標榜できるのかでした。

 半導体の材料は異なるものの、西澤先生の技術は、2014年のノーベル物理学賞を受賞した中村博士のGaNの結晶成長技術に関する特許第2628404号の結晶の純度に比して、約6桁(百万倍)も高純度なシリコン(Si)の結晶成長技術です。特許第2628404号は、600億円の職務発明訴訟で話題になりました中村博士の結晶成長技術です。

 このような完全結晶の成長技術が、(財)半導体研究所のノウハウ技術としてありました。ノウハウ技術である世界最高純度結晶成長技術に必要な装置は、研究者が手作りして実現したものでした。
 
 当時半導体装置では高耐圧の電力用装置は出来ないであろうと言われていました。高耐圧の電力用装置には、高純度のSi結晶が必要でした。
 
 高純度Siを用いることにより、米国の研究者が西澤先生の肩を揺すり「造り方を教えろ」と迫った技術が完成しました。西澤先生は、手作りの専門業者に依存しない技術を用いて、耐圧6000Vのp-i-nダイオード、静電誘導トランジスタ(SIT)、静電誘導サイリスタ(SIサイリスタ)等を実現しました。

§3.3 独創研究に「スーパー・クリーンルーム」はいらない:

 現在の経済産業省の考え方と、西澤先生の独創研究に関する考え方は、根本的に異なる発想です。なぜ我が国が西澤先生の考え方を学んで独創研究に向かう努力をしないのか、心配でなりません。
 
 (財)半導体研究所では、結晶成長装置や半導体集積回路の製造ラインだけでなく、製造ラインに必要なインフラも全部手作りで揃えていました。筆者が(財)半導体研究所の研究員として採用された最初のミーティングで、「水道配管にはどのようなモノがあり、どのような特徴があり、どうするのが良いか答えよ」と、質問され、答えに窮した経験があります。
 
 半導体の製造工程には純度の高い水が重要です。超純水の製造に際し、その水の前処理に砂濾過をする場合、「どの海岸の砂を使うのがよいか自分で日本中の海岸の砂を舐めて調べてきなさい」と命じられた研究員もいます。
 
 「空調機の冷却水はどのように冷却するのが効率よいか検討せよ」と言われて、冷却水のプールの周りにモミの木を植えたこともありました。西澤先生は(財)半導体研究所の設立当初から、階段を簀の子状にする等の除塵対策を用意されていました。そして、クリーンルームについて独自に研究をされ、空気に含まれるどの大きさの粒子が何メートル進んだら落下するのか等の基礎データも研究員に取らせ、空調機の入り口に除塵ボックスを設置させました。
 
 西澤先生は独創研究には「垂直層流方式のスーパー・クリーンルーム」は不要との考え方で、クラス1000ぐらいのクレーンルームであっても、どうしたらクラス1程度の清浄度が実質的に実現できるかと、試料の運搬方法等の運用について、研究員に検討させました。又、天井ダクト乱流方式のクリーンルームであっても、業者に発注をしてはいけないとのご指導であったので、筆者は天井ダクト乱流方式のクリーンルームを(財)半導体研究所の実験室に、夜間の工事で手作りしました。
 
 筆者が天井ダクト乱流方式のクリーンルームを手作りした少し後の1984年12月に、乙助教授が東北大にスーパー・クリーンルームを建設する話を聞いた西澤先生は、俺の「20億円を勝手に使った」と激怒しました。乙教授は1972年の助手を経て助教授の時代に西澤先生の指導を受けていました。スーパー・クリーンルームは、乙助教授が教授になった後の1987年3月に完成しました。

 究極のウルトラ・クリーンテクノロジは真空中の全工程の処理です。西澤先生は乙教授のスーパー・クリーンルームが建設される前の1984年頃には、真空中で工程間を接続する多工程処理装置を制作し、実際のプロセスで既に採用していました。
 
 西澤先生は、事ある毎に「あんなモノを大学に造ってどうするのだ」と言われていましたが、その後東北大は世界で一番スーパー・クリーンルームの数の多い大学になってしまいました。乙教授は筆者の先輩で、且つ元上司にあたります。西澤先生の命を受け、「あなたのやっている研究は企業がすぐ欲しい研究であり、大学教授の研究ではない」と、意見を述べに、乙教授の部屋まで赴き「失敬な」と怒鳴られたことがあります。
 
 スーパー・クリーンルームの数は増えましたが、独創研究の途絶えた東北大学の実情を、晩年の西澤先生は嘆いておられました。西澤先生の頭の中には、2nm世代よりも更に先を見据えた微細加工の製造装置の考え方がありました。

§3.4 チップサイズ10mmの「西澤メソッド」:

 
 当時大学の研究室で、自前の半導体集積回路の製造ラインを持っていたのは西澤先生だけと推定されますが、自作の小型の製造ラインであるからこそ実現できたと考えます。西澤先生は1辺が10mmの半導体チップを用いて試作実験をしていました。4インチの半導体ウェアに比して1/100の面積です。即ち、試作実験に使う薬品量や高純度ガスの量が1/100になります。

 渡辺先生の「研究室には金はやらん。やると仕事をしなくなる」という指導原理を西澤先生は見事に止揚(Aufheben )し、少ない予算で研究する方法を産み出したのでした。1辺が10mmの半導体チップ用の半導体製造装置は市販されていないので、自作するしか方法がないのです。

 自作の半導体製造装置なので、簡単に半導体製造装置の改良や、新型の半導体製造装置への置き換えが可能になります。これが「西澤メソッド」によって、独創研究を可能にする秘訣でありました。

 当時、大学の研究室で半導体集積回路の製造ラインを構成できる一式の半導体製造装置を購入できる研究室は、全国どこを探してもありませんでした。半導体の勉強をしてきたという東大卒の弁理士に、筆者は、「君はSiウェハを見たことがありますか」と聞きましたが、彼の答えは「見たことがありません」でした。

 西澤先生は10年以上にわたり、500回以上の試作実験をして「ある半導体装置」を実現しようと、苦難の試行錯誤の研究を続けていました。1回の試作実験に7日~10日必要です。500回以上の試作実験をしても達成できないからこそ、「独創研究」たる所以があります。大学はこのような「なかなかうまく行かない研究」をすべきなのです。

 西澤メソッドに比し、1回の試作実験に100倍以上の薬品代やガス代が必要な4インチや5インチのウェハを用いた半導体製造プロセスを、スーパー・クリーンルームの中で実施したら、膨大なランニング・コストが必要になります。1回の試作実験のランニング・コストを鑑みれば、西澤先生のように500回以上の試作実験を繰り返すことが予算的にできなくなります。そして、結果として、より確実な研究対象しか試作しなくなる傾向にならざるを得ませんので、独創研究が生まれにくくなります。

 渡辺先生が「研究室には金はやらん。やると仕事をしなくなる」と言われたことは、正にこの点にあります。文部科学省が37億円かけてスーパー・クリーンルームを東北大学に建設した結果、独創研究が生まれにくくなる環境を造ってしまったのです。

 スーパー・クリーンルームは、東北大学以外の大学にも建設される流行となり、独創研究に対する疫病として他大学にも蔓延しつつあります。文部科学省は、渡辺先生の金言を噛みしめる必要があります。我が国の凋落は、文部科学省の判断の誤りにより、大学からの独創研究が生まれにくい環境を造ったことにあることを、我が国のトップは気がつく必要があります。そして大学からの独創研究の停滞が日本の経済を落ち込ませているのです。

§3.5 量子力学を基礎とした分子/原子レベルの研究が重要:

 (財)半導体研究所では、世界最高速のトランジスタや半導体集積回路を製造することを研究テーマとしていました。しかし、その裏で西澤先生が考えていたのは、手作りの装置で、「どのような分子レベルや原子レベルの作用により半導体結晶が成長するのか」というアカデミックな完全結晶に対する関心でした。

 23歳の頃の黄鉄鉱の研究を端緒として、西澤先生の完全結晶の追求の一つの方向は、結晶成長のメカニズムの解明にありました。西澤先生は、半導体表面に吸着した分子の泳動等の「表面触媒反応」で半導体結晶が成長しているのであろうと30年以上考え続けていました。
 
 そのアカデミックな関心を機軸として、西澤先生は半導体表面における表面触媒反応を用いて一分子層単位で制御して半導体結晶を成長させる「分子層エピタキシ(MLE)」の技術を発明します(特許第20139430号、特許第2020510号~特許第2050514号他)。1984年のMLEによる結晶成長の実現により、西澤先生の30年以上の課題である成長メカニズムが確認できたのです。

 MLEの技術を用いますと、深さ方向に原子レベルの寸法で制御されたトランジスタが製造でき、テラヘルツ帯の電磁波を発生させることができます。そしてテラヘルツ帯の電磁波を用いることにより、量子生物学を用いた量子医療の時代が到来するのです。一見、西澤先生の多様に見える研究分野の拡がりは、図1の研究システム図に示したように超多次元空間の内部で見事に統合しています。

 1903年の長岡先生の有核型の原子模型のモデルを、1913年にN.H.D.ボーア(Bohr)が「ボーアの量子条件」で修正することにより、前期量子力学が始まりました。量子力学という数学を考慮することにより1957年の西澤先生のレーザの発明、1963年のテラヘルツ帯発信素子の提案に至るのです。
 
 そして、半導体表面の表面に量子力学的な力によって分子を吸着させるMLEという手法が発明されたのです。MLEによって製造可能となった「理想型SIT」と称される一分子層単位の寸法で制御された超微細構造のトランジスタは、量子力学で設計する必要があるのです。
 
 更に、§1.5で説明しました量子機械工学によって、原子単位の精度で平面パターンを描画し、加工することが可能であり、Rapidus(株)が導入しようとしているようなオランダの露光装置に依存する必要は無かったはずです。
 
 図1の研究システム図に示しました西澤先生の広範且つ多様な研究は、量子力学を機軸に互いに関連され、統合されているのですが、その裏には手作りの装置と、八木秀次先生→渡辺寧先生→西澤潤一先生の研究の系譜と指導原理があるのです。

 大学の研究者が、企業の研究者との役割の違いに気づき、20~30年先に役に立つ研究をする風土が大学側に形成されない限り、第76回で指摘したような日本の凋落は続くと思われます。
 
     弁理士鈴木壯兵衞(工学博士 IEEE Life member)でした。
     そうべえ国際特許事務所は、「独創とは必然の先見」という創作活動の
     ご相談にも積極的にお手伝いします。
               http://www.soh-vehe.jp
 

 
 

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鈴木壯兵衞
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鈴木壯兵衞(弁理士)

そうべえ国際特許事務所

外国出願を含み、東京で1000件以上の特許出願したグローバルな実績を生かし、出願を支援。最先端の研究者であった技術的理解力をベースとし、国際的な特許出願や商標出願等ができるように中小企業等を支援する。

鈴木壯兵衞プロは青森放送が厳正なる審査をした登録専門家です

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